MIA V – Ⅷ


シティ・センター・バックパッカーの初めての夜は、静かなものだった。21時にはルームメイトによって自主的に消灯され、同室の全員がベッドで眠りにつこうとしていた。ときおり、携帯電話のディスプレイが放つ仄かな光が見えるものの、誰も話しをするふうでもなく、静かな時間が流れている。僕は、バックパックから、手元灯を探し出して、今日の出来事をノートに綴った。「バックパッカーに宿を見つける 明日の仕事をもらった ひさしぶりのベッド」と書いておく。早い時間に起きられるように、目覚まし時計は携帯電話と手元時計と二つ、両方に設定をしておく。場所の雰囲気に慣れていなくて、なかなか寝付けなかったが、人の寝息を聴いていたらいつの間にか眠っていた。

翌朝、目覚まし時計の音で目を覚ます。シドニーの3ドルショップで買った安物だが、音量は大きい。ルームメイトを起こしてしまうかと思って、慌ててアラームを消す。時計は4時31分を指している。薄暗い朝の気配のなかで部屋を見渡すと、すでに向かいのベッドには人がいないようだった。タオルと歯ブラシをもって、ベッドを降りる。彼らが一体何時から起きているのか分からないが、僕が最後に起きたようだった。歯磨きをするために洗面所へ行ったがやはり混雑している。明日からはもう少し早く起きたほうがよさそうだ。5~6人並んでいただけだが、狭い洗面所だから、お互いに場所を譲りあう必要がある。それぞれが必要な時だけ、蛇口の水を使うのだ。この宿にいる人種は様々だ。多くは、アジア系、ヨーロッパ系、ヒスパニック系に分けられた。以前から、バックパッカーでインド系やアフリカン系は少ないように感じていたが、なぜなのだろう。洗面所の出口あたりに、古びたコンドームの自動販売機があった。この自動販売機は、実際に使われているのだろうか。などと考えていると5時45分に近づいていたので、慌てて口をゆすいで部屋に戻った。このバックパッカーには、全体の三分の一くらいの割合で女子がいる。同じくワーカーである彼女たちもまた同じく20代の前半といった感じで、化粧っけはあまりないものの、陽に焼けた肌にさっぱりと着たタンクトップ姿はとてもきれいだと思った。

タオルとミネラル・ウォーターとクラッカーを古いレジ袋に突っ込み、集合場所のロビーへとむかう。通勤にかかる時間はほぼ無い、ということだ。5時をすこし過ぎた頃に、オーナーがやってきて、グループの人数の確認をし、全員を外へ出るように促した。朝5時のバンダバーグは肌寒く、半袖で来たことを少し後悔した。オーナーの車はピックアップタイプだった。グループのメンバー数は全員で7人。女子3人、男子4人という組み合わせだった。二列シートのキャビン(車内)には、女子3人が乗り込み(なお、3人ともヨーロッパ系)のこる男子4人は、外気剥き出しの荷台に載せられた。車は、マクリーン・ストリートを抜け、信号のない道を結構なスピードで走っていく。バンダバーグの町の中心からどんどんと遠ざかっていく。ピックアップトラックの荷台にはシートベルトはもちろん、座席もないものだから振り落とされないようにすることだけで必死だった。そのまま車は10分ほど走り続け、しばらく前から広大な畑の一本道を走っていた。流れていく景色は見えるものの、車の正面はキャビンが障害物となっていて、よく見えない。突如、車が左に傾く。バランスを崩しそうになりつつ、挙動に耐える。すると、まもなく車は停車した。荷台に立ち上がって、正面の様子をみてみる。大きめのプレハブ小屋の建物があった。その両脇には、いくつもの農業ハウスが並んでいる。今日の仕事場はここなのだろうか。荷台から降りようとすると、オーナーに制止された。「男は別の場所だ。まだ乗っていろ。」建物へ歩いていく女子を見つめながら、僕は心のうちで乏しく消えてしまった希望をひそかに慰めた。

降ろされた場所は、半エーカーほどの大きさの畑だった。ここは、すでに作物の収穫が終わっている場所で、土に埋もれている根っこを取り出す、という作業だった。畑はひと通りトラクターで掘り返されており、手で掘ると抵抗なく根っこに到達する。これを一つ一つ取り出していく。4人は、それぞれの列を与えられ、作業を開始した。最初こそ、隣の列に負けないようにと互いに競い合う気配があったが、列を何度か折り返し、太陽が高く登り始めると競走する気力もなくなってきた。作業中は世間話をするという雰囲気もなく、黙々と作業にあたった。11時くらいになり、オーナーが様子を見に来る。進捗を確認して、また帰っていく。僕は、今朝のトラック移動をしている時のことを思い出していた。荷台に載せられて公道を走ったことは生まれて初めての経験だった。脳内では「ドナ・ドナ」が流れていた。いまごろヨーロッパ系の女の子たちは、空調の効いた部屋で出荷作業をしているのだろうか。昼になり、作業現場は休憩に入った。それぞれ手持ちのランチを食べ始める。僕より4つか5つほど年上の、この現場のリーダーのような男が、自分の国にいる彼女のことを話し始めた。「俺さ、カナダに彼女がいるんだよ。俺は彼女のことが好きなんだけど、たぶん彼女には好きな男がいるんだよね。俺の前に付き合ってたやつで、ひどいやつなんだ。泣かせてばっかでさ。それで俺が話を聞いてて、別れるように言ったんだよ。だって、彼女はあいつに尽くしてるのに、それに答えてやらないのは、なんかいやだろ?もっと大事にしてやるべきなんだよ。」人と人とが初めて顔を合わせる時、ある種の緊張感がある。相手がどんな人かわからないうちは、じっと様子を見ることにしている。日本に比べて、意識的な自己アピールは必要だが、どんなときにも自分の意見を主張すればいいというものでもない。とくに雑談の中では、相手の機嫌を損ねるかもしれないことを口に出すのは得策ではないだろう。彼は続ける、「俺は、その男のこともよく知ってるんだよ。幼馴染みみたいなものでね。小さい頃は、よく3人で遊んだんだ。あるとき、3人で川に行ってさ。石を投げて、何回ホップするか競い合っててさ。そいつが一番上手くて、彼女が一番下手だった。それで、彼女は、そいつに投げ方を教わってたんだよ、そんな二人を見てるとなんかムカムカしてきてさ。ふざけたつもりで俺、そいつにぶつかりに行ったんだよ。そしたら、そいつちょっとよろけてさ、その拍子で彼女の被ってた帽子が川に流れてしまってさ。」彼は、流れていく帽子を取らなくちゃいけないと思って、長い棒を探しにその場を離れた。そして、手頃な棒を見つけて岸辺に戻った時には、すでに帽子は彼女が持っていて、『あいつ』は服をびしょびしょに濡らして岸から上がってくるところだったらしい。「俺さ、思うんだよ。そういうの、俺にはできないな、って。棒を拾って戻ったきた時、なんで俺のことを待てなかったんだよって、正直いうと胸糞が悪かった。でも、あいつのしたことの方が正しかったんだと思う。たぶん、手をこまねいて待っていても帽子は流されていくばかりだからね。」その話を聞いていて、僕は彼も悪いやつではないんだろうなと思った。たぶん、面倒見がよくて、好かれている。人のために動いているものの、つい自分よりも周りを持ち上げてしまう。そして、簡単に境界線を超えていく友人を羨ましく思っている。僕は、ただ「そうだね。」と言った。歳を重ねると、また違った価値観に変わったりするのだろうか。冷静な彼と思い切った行動ができる友人を足して2で割った性格・・というところまで考えてやめた。そんなに簡単な話ではない、と思い直した。物事には表と裏があり、平均を取ることが正解とは限らないのだ。

2021 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa
#ストーリーテリング

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