MIA V – Ⅸ⑴

リングサイドで指をくわえて見ているだけで良かったのに、人生にハプニングはつきものだ。さっきまで、場外で見ていた客の一人だった自分が、リングに立っているとは。突然リングへと上がった素人に、会場の盛り上がりはピークに達する。観客は「やってしまえ!ころせ!」と、がなる。おい、そこのおやじ。お前がリングに立ってみろよ。小便ちびりそうになるぞ。発せられる声援はすべてはチャンピオンに向けられた言葉である。俺ではない。レフェリーが合図をする。リングの鐘が、カーンと響く。。

はっとして起き上がった拍子に、上の段のベッドで頭をぶつけそうになった。3段ベッドの中段にいる僕は天井が低い。T-シャツは汗でべとべとだった。今日の夜は風がなく、蒸し暑い。それにしてもいやな夢だ、と思った。何を原因としてこんな夢を見てしまうのか。それは夢だよ、と分かっても心臓はドキドキしている。時計の針はAM1時15分だった。もう一度眠ろうとするものの、自分と、じぶんを取り巻く空気がやたらよそよそしく、どうも寝付けそうにない。以前からこんなふうに、外界と自分の間に、膜でも張っているのかと思うほどに隔たりを感じてしまうことがあった。きしむベッドを静かに体重移動し、出来るだけ静かにベッド梯子を下りた。途中、ギッと音が鳴ったがトイレにいくふりをして部屋を出た。(誰に対しての演技なのかわからない)廊下は、24時間電気がついている。電灯のジーっという機械的な音と、どこからか入ってきている蛾がぶつかっている音以外は、何も聞こえなかった。フロアカーペットの廊下を渡り、ぎしぎし足音がならないことに安堵する。この時間に起きている人はほとんどいない。廊下中央の階段を降りて、誰もいないことを見て、勝手口から外へ出た。煙草を吸うつもりで中庭へ出た。ソフィアとは、そこで出会う。肩にかかるくらいの長さの髪を、高い位置でポニーテールにしているフランスからの女の子。なにか物思いに耽るように椅子に座り、空を見ていた。

Sophia

人がいるとは思ってもいなかった僕は、人影が視界に入った時に立ち止まった。足元の細かな砂利が音を立てる。彼女は僕を一瞥したが特に気にする風でもなく、足を組んだままどこかを見ている。夜間、この中庭は、宿泊客しか入れないようになっていることを知っていて、気にしていないのかもしれない。僕は、煙草に火をつける。必要以上に音を立て離れるように、中階段の方へ移動した。共有場所とは言え深夜であるし、不必要に警戒させたくはなかった。吸ったら部屋に戻ろう。明日も早朝から作業がある。さっき見た夢の断片が思い起こされた。夢はなぜあんなに真に迫った現実味を持って体験するのだろう?冷静に考えるとありえない設定なのに。数年前から、なにかに追いかけられる夢を頻繁にみるようになった。何かが「なに」なのかは、いつもわからないのだけれど、夢の中で僕は必死に逃げているのだ。けれど、格闘のリングに立たされる夢を見たのは初めてだった。物思いに耽っていると、煙草の火がフィルター近くまで到達しそうになっていることに気がついた。同じくして、ソフィが僕の方を向いてあるいてきた。「煙草ある?」そう訊いてきたことを覚えている。 

2021 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa
#ストーリーテリング

MIA V – Ⅷ

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