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ストーリーテリング

MiA V-Ⅱ

V-Ⅱ

正午を回った頃にブリスベンを出発したグレイハウンド・バスは、軽やかに北上を続けた。例の空港を過ぎ、ハイウェイに乗る。行楽シーズンのためかサンシャインコースト方面へ向かう車内は乗客でほぼ満席であり、カラウンドラを過ぎる頃には息苦しさを感じるくらいだった。高速バスは海岸沿いをひた走る。海からの強烈な日差しが車内をつらぬき、誰かがカーテンを閉めた。海とは反対側の窓際席にいた僕は、車窓から対向車線を走る車を眺めた。

ここ数日、誰ともまともな会話をしていないことに思い当たる。けれど、それが心地悪いことだとは思わない。控えめに言っても、いい精神状態ではなかったし、誰かと積極的に話したいという気持ちにはなれなかった。外に対して閉じている一方で、内ではうるさいくらいに雄弁だった。僕の頭の中ではつねに理屈の通らない議論や無益なおしゃべりが続いており、静寂が訪れたかと思うと、また誰かが話し始める始末だった。閉じた世界から見る広い世界は、まるで非現実的で、すぐそこに喜びや感動があっても受け入れることは難しく感じられた。僕はいったい何のためにここにいるのか。旅行という感覚はまったく持てない。泥臭すぎる。非生産的な自分に抗うべく、せめて思考の断片を残そうとノートに書き留めていたとき、隣の席の男性に「アー・ユー・ジャパニーズ?」と声をかけられた。逃げ場のない状況下で危機感に似た感情を持ちつつ、声の主を窺い見ると、色黒で髭をしっかりたくわえた小柄なアジア人だった。そして、さっきの発音の仕方やその顔立ちから、彼が日本人であることを直感した。なんと答えようかと思考を巡らせていると、「日本の方ですか?」と今度は、日本語で訊かれてしまった。もう間違いようがない。彼は日本人だ。そして、僕も日本人だったのである。

人の気分というものは、いとも簡単に変わる。たかが10分先の未来の感情すら予測できないのに、どうして10年後が想像できよう?(人の純粋な感情には理屈がなく、まったく当てにならないものなのだ。)

僕たちは年齢が近いこともあって、熱心に話し込んだ。彼はこれから、ノーザンテリトリーのアリス・スプリングスまでの行程を予定しているらしい。ロックハンプトンで知人に会ってからトランジットする、その乗車時間は24時間以上になるだろうと笑っていた。アリススプリングスは、ウルル(エアーズロック)やカタ・ジュタに程近い内陸の町で、国立公園へ向かう観光者の拠点となっている。(ダーウィンやアデレードといった大都市からそれぞれ1,400〜1,500km離れており、地理的に隔絶されている。)そこから先は、先住民にとって神聖な領域なのだという。彼は先住民に対して正しい認識を持ち、尊敬しているが故に、経済的に支援する活動をしているという。そのため、年に数回、日本から飛んできて定期的に通っている。彼が言うには、シドニーのオペラハウス周辺で大道芸をしているアボリジニたちは、生活のために身を売っているようなもので、部族の年長者からは苦い顔で見られている、とも話してくれた。「我々の存在は、見せ物ではない。」そう言っている。そんな話を聞いてから、お土産物やで見る先住民の装飾が施されたグッズが、どうしても哀しく見えるようになってしまった。その後、いちども彼とは会っていない。

Noosa

予定どおり、ヌーサでバスを降りた。時刻はまだ14時を半分ほど過ぎたあたりで、気温が高かった。バスを降りると、さっそくマリン・アクティビティ案内人に捕まった。さすが、観光地である。プラカードには、バナナボート80ドル〜となっている。安いのか高いのか僕には判断できなかったが、そんなに手持ちはない。ここに来るまでのバス代で30ドルを使っているから手持ちの現金はのこり40ドルである。僕のプランは、メインビーチであるヌーサ・ヘッズにいって、海の家かなにかで当面の職を探すこと。仕事にさえありつけたら、泊まるところなどはなんとでもなるだろう。さきほどのアクティビティ案内人が、数人の若い女の子たちをバンに乗せ走り去っていった。小さくなっていく車の影を、見える限り目で追った。海は、あの方向にある、と見当をつけた。見知らぬ町、持っていたガイドブックにはほとんど情報がなかったのだ。

ギターケースを背負い直してゆっくりと歩き出す。背中が暑い。数キロは歩いただろうか。舗装されている道路や縁石が、どれも同じ新しさを持って見える。この街は最近整備されたのだろうか。郊外の小綺麗な新興住宅地という雰囲気だった。オーストラリアという国は、日本の土地の感覚と比べると2.5倍ほど大きく感じる。歩いても歩いても、風景がゆっくりとしか変化しないのだ。さっきのバンが去っていった方向に歩き続けているものの、何度か交差点や緩やかな曲がりの直線があったせいで、方角を見失いそうになっている。とにかく、東に向かうことに気をつけて歩きつづけた。時折、車道を通り過ぎる車があるだけで、驚くほど人に出会わない。突如、高い壁といくつものブランドサインが広告掲示されている、アウトレットモール風の建物に出会ったが中には入らなかった。最低限に必要な水やクラッカーは、ブリスベンで調達している。普通の人々が持っている「お金を使う楽しみ」とは、今一番遠いところにいるのだ。行く必要はない。

そのまま歩き、いかにも高級そうな住宅街をぬけると、ビーチが目に入った。ここがヌーサの海岸。きれいなビーチが広がっていて、青々とした波はいかにもメロウに、心地よさそうに海岸に打ち寄せていた。

僕はアスファルトで歩き疲れたスニーカーのソールに感じる砂の感触を楽しみながら、ビーチに生えている木陰まで歩いていった。背負っていたギターを下ろす。ジャック・ジョンソンならここで一曲きもちのいい歌を弾き語るのだろうけど、僕はそうしなかった。背中の汗が乾くように体とシャツの間に空間を作り、風をとおした。眼前には、波に乗るサーファー、犬を散歩させる老人、スポーツウェアでランニングしている女性が颯爽と過ぎていくのを眺めた。なんでだろう。こういう時にかぎって、日本の友達や過去に恋人だったひとのことを思い出すんだ。俺はいま、ここに、金もなく、しかし元気にやっているぞ〜!そう叫びたい気分だった。

2021 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa

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