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Memories in Australia.[iv-v]

21:25

ブリスベン空港に戻ると、思っていたよりも人はまばらだった。さほど気にもとめず、夜を過ごせそうな場所を探す。少しでも快適に眠れそうな場所‥待合ロビーがすぐに浮かんだ。ソファであればなお、ありがたいのだが。マップを確認し、二階に上がった。広々とした到着ロビーがあった。プラスチックの椅子が連なって配置されており、球場のスタンドのようだ。待合客はほとんどいない。

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Memories in Australia.[iv-iv]

ブリスベン空港へ到着するころには、あたりはすでに夜の気配になっていた。日中の暑さとは反対に、肌寒さすら感じる。ターミナル入り口近くにあるミートパイの露店も、すでに店じまいを始めていた。空腹を感じたので、空港の近辺で軽食を取りたい。すこし歩き始めるが、見通せるかぎり、あたりは芝生が整備されているだけの殺風景な場所だった。

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Memories in Australia.[iv-iii]

最初に目当てにしていた安宿がとれず、つぎに目星をつけた安宿を目指して市内を歩いていた。目抜き通りのため、たくさんの店が並んでいる。しかし、どれも個人商店のような雰囲気だ。そのなかで数軒、インターネットカフェを見つけた。手持ちは約$100ドル。この金が尽きる前に、すぐにでも仕事を探さないといけない。見知らぬ街、情報が乏しい。店内は混雑しているが、いくつか空きはありそうだ。1時間の利用は$3となっている。入店することにする。受付カウンターで「1時間」と告げ、先払いの料金を支払った。利用する座席を示すカード(プリントをラミネートしたもの)と、60分を表示しているストップウォッチを手渡された。

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Memories in Australia.[iv-ii]

ブリスベンにて

来た道を戻りながら、ポケットの所持金を確認した。20ドル札4枚と10ドル札が1枚、それに5ドル札。あとは、コイン少々と日本での預金残高がほとんどないクレジットカードが一枚あるだけだ。手持ち100ドル少々。

この時、僕はブリスベンにいる。ここから、すこし話が脱線するが、当時の経済状況を説明するためにしばらく、脱線にお付き合いいただきたい。

シドニーを発つ前に、働いて蓄えていた資金1,500ドル(当時の為替で約14万円)を現地の市中銀行に預けたことがあった。外国のATMは路地に面して設置してあることが多く、僕もまた、通りに面したATMで預入をした。

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Memories in Australia.[iv-i]

AM0時20分 ブリスベン空港で

ゴールドコーストからブリスベンまでは、電車で移動した。隣町なので1時間以内の乗車時間となる。ブリスベンセントラル駅に到着したのは昼過ぎ。ゴールドコーストよりも都会的で、目と鼻の先にはオフィスビル群も見える。駅構内にあるハングリージャックス(Hungry Jack’s:バーガーキングのオーストラリア商標名。キャラクターはシンプソンズ。店員はインド系の人が多い。)で昼食をとりつつ、今夜の宿を探すためにガイドブックを開いた。

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Memories in Australia.[序]

🇦🇺オーストラリアの記憶(Memories in Australia)🇦🇺

今から13年前の2007年にオーストラリアへ行ったときの話をしたい。国が推奨するワーキングホリデー制度を利用し、関西国際空港からの片道切符でオーストラリアへ入国した。22歳の僕は、どこへ行き、なにを感じたのか?今となっては、おぼろげな記憶。そこから正確な事実を書き起こすことは、とても難しい。

日本を発つ前、バンドマンとしての成功を夢見ていた、地に足のついていない、凧のようにふわふわと、常に不安定な若者だった『僕』。異国での十分な資金もない生活、日銭を稼ぎ続けることで糊口を凌いだ日々。オーストラリアでの生活は約一年、たった一年間の旅。期間は短くとも、その経験は、自分にとってはターニングポイントとなっている気がする。その実感は、後になってわかってきたこともある。

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