本記事『DIG DEEPER』では、今はまだ自分にとって大きな意味を持ってはいないけれど、十分に探求の切っ掛けとなりそうなあれこれを紹介します。情報のキュレーションと、第一印象から始まるきっかけづくりをしていきます。意識せずとも、たくさんの情報を受け取っている毎日。どの情報を優先して取り入れるべきなのか迷ってしまうこともあります。この『DIG DEEPER』では、そんな中でも際立って「‥!(ピンッ)」と来たものだったり、「(おぉ‥)もっと深く知らねば‥!」と感じたものを、収集・展示していきますので、お楽しみに。
アート/アニメーションに見る、欠け・欠如の魅力について
特徴として、「欠け・欠如」を持ったモチーフがある。欠けているということが、どうしてこうも感情に訴えかけるのだろうか? アート/アニメーションに登場する「欠け・欠如」から、その魅力を考えます。
「欠け・欠如」を持ったモチーフあるいは作品が伝えたいのは、生き物の生々しさではなく、「物語・イメージ」なのかもしれない、という仮説を立ててみます。
人型である
「欠け・欠如」の特徴を持ったモチーフの多くは、『人型』であることが多いです。あるいは、人型を連想する形状をしています。生身の人間や生き物の一部の欠如・欠けの描写は、目を背けたくなる描写になりがちですが、機械・人工物の欠如は、凝視して鑑賞することができます。典型例として、人型のロボットなどがその好例。多くの人は、人工物であるロボットは、その一部が欠けていても動くことが出来るし、壊れたパーツの交換が可能だという認識を持っています。それゆえに、人工物のロボットの一部が欠けていても、直接的な生々しい痛みをどの程度印象づけたいか?という塩梅は作者が最終的にコントロールできます。あるべきはずのものが、欠けている。と認識するために、全人類が共通の型式を持っている「人型」は格好のモチーフです。
生身ではなく、人工の人型で表現することの利点
⑴その欠如にワンクッション置くことができる点
⑵その結果、痛みの印象をコントロールできる
⑶したがって観察に耐えられる
⑷じっくり鑑賞することで自分なりの解釈を導くことができる
鑑賞の対象物が、モノ(物)であるということは、鑑賞者を冷静にさせます。(パニックにさせない)
冷静に見ることが出来るからこそ、自分自身の解釈が出来る。
Victoire de Samothrace(サモトラケのニケ)
Vénus de Milo(ミロのヴィーナス)
《アートからの参考作品》ニケの頭部と腕の欠如、ヴィーナスの腕の欠如
ガンダム・ラストシューティング(機動戦士ガンダムから)
エヴァンゲリオン初号機・覚醒(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 から)
《アニメーションからの参考作品》ガンダムの頭部の欠如、エヴァンゲリオンの腕の欠如
欠如することによる、プロポーションの変化
サモトラケのニケの頭部と両腕は発掘されていません。そのために、現在、私たちが目にすることができる立体物としてのプロポーションは、もともとの形が持っていた形の割合・比例(プロポーション)とは大きく異なっています。
サモトラケのニケは、立体物ですので、見る角度によってその印象がさまざまに変化します。もっとも、美しく見える角度として、(像に対して)右斜め45度がよく挙げられます。
ぴったりと黄金率にあてはまる
古来より人間が最も美しいと感じる比率として「黄金比」と呼ばれるものがあります。みんなが綺麗だなと、思うポイントには、やはりロジックが仕組まれいるようです。
黄金率が当てはまるかどうか、HUMMで、試して見ました。※Adobe illustrator を使用して画面収録をしています。
欠け・欠如はなにを伝えるか
大部分から失われている、一部分
上にあげたアート/アニメーションからの参考作品に共通する点は、大部分から一部が失われていることです。つまり、「欠損」している状態です。この欠損している状態は、作品やモチーフのなかで、何かを求めた代償の結果という語られていない物語。そして、はかなさを連想させる郷愁感を僕は感じました。歴史的に、あるいは、物語の中で抗えなかったものとしての結果であり、物体がそこに無いからこそ、想像を掻き立てています。また、その点において欠如は、「余白」とも言えます。美的感覚に、積極的に余白を取り入れてきた日本文化の感覚とも近いところがあるのではないでしょうか。
それでは、逆に、「欠如」していたものに注目した場合は、どうでしょうか。
下の写真は、サモトラケのニケの右手像と言われているものです。
失われた一部分だけを見つめることで、新たな物語が想像できると思いませんか。ぼくは、最近コラージュに強い興味を持っています。雑誌や書籍から、無作為に、あるいは、意図的に切り取られた印刷物を再構築することです。音楽でいうサンプリングに近いものを感じていますし、「ちぎる・切る・貼る」といった、アナログな処理をしますので偶然性に富んでいます。以下は、Instagramで投稿を気にして見ているコラージストのClivek Nights氏の作品です。
『DIG DEEPER』第4回は、アート/アニメーションにみる「欠け・欠如」について考えてみました。アイデアのもととなる糸口は見つかりましたか。「なぜ、この作品に惹かれるのか?」を言語化して考えてみることで、もう一歩踏み込んだ思考ができます。自分なりに解釈を考えることが創造する力を養うことになるのでは、と僕は考えています。
次回は、建築/インテリアから、「照明」について記事をご紹介したいな、と思っています。ゆる〜く、お付き合いください。
Text: 小佐直寛(Naohiro Kosa)
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