ブログのテーマは、ライフハック?
上に引用したのは、このブログ(HUMM.magazine)を開設したときに初めて載せた記事の一文です。そのころの僕はふたりの子供を持つパパで、一般的な会社員の仕事にも慣れてきた頃でした。その一方で、親としての立場とか社会的な立場とか、そういうことが優先された結果、自分の生き方に疑問を持ち始めました。二十代のころには、夢へ向かう気持ちとか、こうありたいという理想といったものが自分のすぐ近くにあった。けれど、今ではそれを懐かしいと思ってしまう自分に、ジワリと危機感を感じはじめたのです。失いかけている「あのときの熱」みたいなものを少しでも取り戻したい。しかし、何をすればいいのか‥と惑います。
開設当時、このウェブサイトは「ライフハック」を共有するために始めたブログでした。(Webサイトのサブタイトルは、「フーム、なるほど。ライフハック・ウェブマガジン」)
自分には何もないのだろうか?棚卸しをする
思考の整理
フルタイムの仕事以外に家事・育児に精一杯で、自分の人生とは?と漠然としたことを考えるようになり、目的地や目標を見失っている状態なのではないかと思い当たりました。こういう話になると、棚卸しをしましょう。ということをよく言われます。いざ紙に書き出そうと思っても筆が進まない場合には、例えば、これまでに自分が掛けてきた時間の多いものとは?だったり、苦も無くできることはなにか?と考えてみるのも方法のようです。(手を動かして実際に紙に書き出すことは、頭のなか引き出しいっぱいに詰め込んだドキュメントを一旦取り出すようなものなので、それだけですっきりする効果もありますよ)
理想的に生きるために必要なものって
学び
考え方とか話し方とか自分の言動って見られているし、他人のそれを見てもいるものです。「人の振り見て我が振り直せ」の精神でこれは日々勉強。会社内で女性の言動を見ていると良い学びが多いです。表情や受け答えなど配慮について気づきがあります。僕も見せかけでない人間味あふれるひとになりたい。作曲や文章表現は技術で学べる部分も多くありますが、専門書で学ぶことだけでなくさまざまな分野を横断して読書をすることはいいことだと思っています。視点を広げることは楽しいし知的好奇心が満たされます。また、学びを停めないことは単純に自尊心を保つことに繋がっています。
繋がり
結婚して10年、中年期になると様々なライフイベントを経験します。学生時代に出会った友人の8割以上は連絡を取ることもなくなりました。子育て真っただ中ですから、寂しいことですが、そういうタームなのだと理解しています。友人と呼べる人は数人になりました。その代わりに、ひとの輪がその輪をひろげ、さまざまな年代の様々なタイプの方と出会うことが増えました。急に友人とは呼べないかもしれませんが、おたがいの領域を尊重しながらも、ゆるく繋がることが出来る素敵な関係だと思います。個人の接点だけでは成しえない観念の具体化。誰でもが自由に利用でき、占有が許されない空間であるCommonsという観念や、地域のコミュニティへの興味が育ってきています。
健康
一言でいって、体力がなくなってきました(笑)。まず徹夜が出来なくなった。無理をして朝を迎えたとしても翌日の日中に起きていられない。頭が働かない。それならいつも通りの時間に寝て、朝早く起きたほうがコンディションが良いことに気がついた。それから、まだ小さい子供たちと過ごしていると、大人になったこの子たちを見たい、と思います。どんな考えをもつのだろう、どんな人になるのだろう、自然に想像してしまいます。だから、健康的に長く生きたいです。
お金
理想的に生きるために大切なものって、そう多くないことに気が付きます。そのなかで、お金は、多すぎても少なすぎても心を惑わせるため、人生のタームごとに適切な量があればいい、と思うようになりました。ただし、よく言われるように資本主義社会においてはお金は「選択の自由を広げるもの」としての側面があります。子供が小学生になって数年が経ち、習い事や宿題など日々のサポートが必要になってきたところで末っ子が誕生。この数年間で家事・育児の優先度とそれに掛ける時間がこれまで以上に必要になりました。今のタームを何とか凌ぐだけであれば流れのままでいいのですが、検討を重ねた結果、うちの場合はその根本から変化させる必要があるという考えに至ったので、今以上のお金を得ることが必要です。そのためには、パワフルな原動力(学びによるもの)を身につけてあらたな畑を耕し、収穫をする必要があると感じています。
ただ生きるのではなく、善く生きることこそ
これは古代ギリシアの哲学者ソクラテスの言葉、「ただ生きるということではなく、善く生きることこそ最も大切にしなければならない」という言葉に基づいています。人間にはさまざまな欲望があるけれど、どうすれば人として正しく美しい行動として人生を満たすことに繋がるのかを考えよう、という意味として知られています。僕は哲学を専攻したことはありませんし難しいことはわかりませんが「良いこと」と「善いこと」は、違うのだろうと想像できます。
道徳的に、いいことは「善いこと」だとおもうし、だれも見ていなくても悪いことはしちゃいけない、お天道様がみているよ。というのも「善い悪い」のことだろうとおもいます。10代、20代のころはもっと自分中心で価値観も粗削りだったから道徳的なことはしっくりこなくて後回しでした。けれど、社会に出て(就職して)、自分の身の丈を知り(実力不足の現実を知り)、子どもに注意をしているとき(客観的になったとき、こどもにたいして偉そうに言っている自分に引く)、ふと思うんです。大事なのは「哲学」なんじゃないか、と。哲学者としてニーチェも有名ですよね。昨年『ツァラトゥストラはこう言った』を読みました。大切な事柄がたくさん書いてあったと思いますが、残念ながらぼくには理解できなかった部分も多かったです。
哲学は難しいです。けれど、最近では日常でも哲学は学ぶことが出来る、ということもわかってきました。僕にとってそれは、たくさんの人と話をするということでした。僕が務めている会社は、20歳代から上は70歳代の先輩方も在籍している会社です。そんな先輩方と世間話をしていると、ふとしたひと言が深~く染みいることがあります。本人は何気なくお話しされているんですけどね。昭和初期から平成の終わりまでという時代を現役生活を送られてきた方の生きる知恵とか、心構えとか。これもまた哲学だと思います。さまざまな年代の様々な地域の人たちと会話が出来る(機会がある)。これは大きな会社のいいところだと感じます。
善く生きること=どう生きたいのか認識すること?
善く生きるってなんだろう?って考えていましたが、これだっていう答えは見つかっていません。ただ、どういう気構えで生きていきたいのか。なにを大切にして生きていきたいのか。ということは大事な気がします。
自分自身に問い続けることで、何かきっかけがつかめるかもしれない、という気もします。
ブログのサブタイトルを「善く生きる、I/Oのログ」に
サブタイトルを変更しました。I/Oとは、Input /Outputのこと。
最近めっきり記事を書かなくなっていましたが、初心に戻って、また記事を書いていきたいと思います。
以下に、開設当初の記事から一部を引用します。似た境遇や想いをもって生活している人に届くと嬉しいですね。
今後ともHUMM.magazineをよろしくお願いいたします。
右往左往しつつ、持ち前のD.I.Y精神で得てきた情報を、自分がかっこいいと思う人や物・背景にある文化を、この文章を読んでくれているあなたと、共有出来るウェブマガジンに育てたいと思っています。
元バンドマンとしての30代の人生観 より
Text: 小佐直寛(Naohiro Kosa)