MENU
  • ハロー,HUMMabout
  • 「文脈」context
  • まいにちの暮らしdaily life
善く生きる、I/Oのログ
HUMM.magazine(フームマガジン)
  • ハロー,HUMMabout
  • 「文脈」context
  • まいにちの暮らしdaily life
HUMM.magazine(フームマガジン)
  • ハロー,HUMMabout
  • 「文脈」context
  • まいにちの暮らしdaily life
  1. ホーム
  2. 「文脈」
  3. Paul Austorとムーンパレス

Paul Austorとムーンパレス

2017 12/27
「文脈」
2017-12-272024-12-20
 
僕が好きな作家のひとりに、現代アメリカ文学のポールオースターがいる。

初めて手にした本は、「ムーンパレス」で、それはどこまでも青春小説であった。

きっかけは二十歳の頃、ヴィレッジヴァンガードの心斎橋店で、手に取ったこと。そこに書かれていたポップがあまりにも印象的だったのでいまでも鮮明に覚えている。

『これを読まずに大人になったやつを、俺は信用しない』

人を信用するかどうかの判断材料に小説が使われるとは。

どんな本だ?2000年代初頭のVillage Vangard(ヴィレヴァン)。俺は絶対に読まなくてはいけない。

公式に発表されているあらすじは、以下。

『人類がはじめて月を歩いた夏だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた……。深い余韻が胸に残る絶品の青春小説。』(新潮社ホームページより)

主人公はかなりハードな環境にありながらも、物語全体に暗さはなく、絶望や孤独の中にこそある美しさ、というか

そういう環境に身を置くことで感じるある種の陶酔感が生々しく感じられる物語。限りなく『青春小説』。

初めて読み終えた後、「ああ、だからビレバンのポップに、『これを読まずに大人になったやつを俺は信用しない。』って書いてあったんだな。」と思った。

僕自身、たまたまその1年後にオーストラリアへ住むことになったけど、この小説が自分の根底で強さを保ってくれていたことは間違いない。と思っている。

そんなポールオースター、今も精力的に執筆活動を続けている。(※残念ながら訃報があり、2024年4月30日にブルックリンの自宅で亡くなりました。家族に囲まれて息を引き取ったそうです。)
映画、小説共に彼の作品は主にニューヨーク、特にブルックリンを土台にしている点が特長的。内省的な主人公の描写と、柴田元幸さんのリズミカルな翻訳で物語は進んでいきます。

そういうわけで僕の脳内ニューヨークのイメージは、オースター作品によって構成されています。

日本語で読める最新作は、 『闇の中の男 (Man in the Dark 2008)柴田元幸訳新潮社 2014年』

さて、ムーンパレスというゲストハウスがNYに実在していたらしい。経営者は日本人だったということ。残念ながら今はなく、2016年末に閉業したそうだ。

これはきっともしかすると、この本の熱心なファンだったのだろうか。

失い続けた先に、何があるのだろう。孤独で、もやもやした青春――。名手オースターの人気No.1作品。

ムーン・パレス (新潮文庫)

posted with カエレバ
ポール・オースター 新潮社 1997-09-30
Amazon
楽天市場
 

Text : 小佐直寛(Naohiro Kosa)

「文脈」
  • URLをコピーしました!
  • 世界に一つのカスタムGAMEBOYをつくる ①やり方まとめ 入手~分解編(1)
  • アーティスト活動を続けるためにできる3つのこと

関連記事

  • ある絵画をじっと見ていて、感じたことは疎外感だった。美しい絵だと思ったのだがじっと見ていると、付け入る隙がなく、拒絶されている感覚を覚えた。画面の中央には動物と女性が配されていて、その背後には遠い風景が描かれていた。これが作者の意図したイメージなのだろうか。この疎外感はなにから生まれたのか考えてみたくなった。そもそも「遠景」とはなにか。視対象との距離を表すとき「近景・中景・遠景」に分けられる。つまり、距離による景観の見え方の違いによる景観の捉え方として説明できるとあったそのなかで遠い風景のことを遠景と呼ぶ。視点と視対象の関係から考えたとき、近景が視対象の意匠や素材などを理解することが出来る一方で、遠景は視対象と背景が一体となって見え、視対象と背景とのコントラストや視対象のアウトラインによって構成される景観といえるそうだ。したがって、遠景の画面構成の中では配置や規模、形態と言った要素が重要となる。遠景が鑑賞者に与える印象とはなんだろう。そして表現者が手法として「遠景」を選ぶ理由はなんだろう。色彩やフォルムによって抽象的なイメージを受けるから、非現実的イメージを表したいからだろうか。それとも単に遠景が美しいからだろうか。遠景は現実に存在するものでありながら写真や絵画になると非現実的なものになる。その意味で無責任な美しさだと感じる。 遠景を意識しない風景にたいして一般的にどのように見えているかということを考えてみる。人が遠景を観察するとき、任意の視点から視対象を見つめている状態になるけど、その人それぞれ特有の影響がある。それは視力だ。僕のように視力が悪い人はメガネを外してしまうと全てがぼやけて見える。すぐ目の前にある視対象でさえ実態を失い、シルエットやコントラストでしか判断が出来なくなる。つまり「遠景」になってしまうことがある。メガネをかけて見える世界は中景が中心だ。コントラストと色彩しか残らない視界(意図した遠景)を、中景で表現しようとするともっと積極的な表現になる。見えている人にははっきりくっきり見えているものが近視の人にはぼんやりとしか見えていない。たとえば、 [Michael Cina](https://ghostly.com/artists/michael-cina)の描く作品のようになりそうだ。タイトルに沿って、疎外感に着地したかったのだけれど、話がずれた。それにしても観察や視点というキーワードは面白い。
    遠景と疎外感
  • セイロンにはいつもぎゃふんされる
  • 知ることからはじめる『人新世の「資本論」/斎藤幸平』
  • やったほうがいいこと
  • 僕にとって「善く生きる」、とはなんだろう。
  • それでもなにか、ささやかな制作を
  • Sensei (先生/メンターと呼べるひと)
  • 決めつけると、余白を失う

© HUMM.magazine | HUMM

目次