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元バンドマンとしての30代の人生観

2017 12/03
まいにちの暮らし
2017-12-032025-07-26

バンドマンとして無我夢中で理想を追いもとめた20代前半。社会人になったのは20代の第4クオーターに入ってから。苦労の時期を共に過ごし、支え続けてくれた彼女と結婚し、二人の子供に恵まれた。仕事の面では、中途採用ではあるものの大手の企業に就職、現在は一般的な「安定」を手に入れた。

条件だけ並べるのなら、一般的な水準に到達した。それでも、ずっと胸につっかえている「自分らしい生き方」への欲求。

果たして「自分らしい生き方」とは何か?
いつ掴めるかわからない夢に一点集中するには、リスクが高い。守るものが多くなった今、会社員を辞めることはできない。かといって、このままズルズル惰性で生きていきたくない。

時間に余裕がないからという理由で、子供が独立するまで待っていては、いくらなんでも遅すぎる。

それでは、自分はもういい年齢になっていますから。

家族がいて、出勤すべき会社があって、会社では実現できない自分のやりたいこともあって。

今を全て受け入れて、その上で自分なりの人生を開けていけたら、という風に切に思っています。

思うようにいかない。計画通りにいかないのが人生なら、思いつくままに世間に発信してみたい。SNSでなく、ブログで発信しようと思ったのは他人の評価の上に自分の価値を置かないためです。

会社で必要とされる人間でありつつ、ライフワークである音楽を追求し続けること。そしてまいにち24時間、子供と妻と最高の家族であり続けること。そして独立(起業)のきっかけを掴むこと。これが当面の目標です。

右往左往しつつ、持ち前のD.I.Y精神で得てきた情報を、自分がかっこいいと思う人や物・背景にある文化を、この文章を読んでくれているあなたと、共有出来るウェブマガジンに育てたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

2017年12月吉日 


Text : 小佐直寛(Naohiro Kosa)

まいにちの暮らし
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