Ⅱ
Brisbane Transit Centre に到着した僕は、チケットカウンターへと向かった。つまらなそうな顔をしていた受付嬢に声をかける。「バンダバーグへいきたいのだけれど」僕がいうと、彼女は今日の午後の便をアレンジしてくれた。値段を訊くと120ドルという。彼女は、パソコンに向かってキーボードをたたく。予約を取る段取りが進んでいく。僕は慌てた。ちょっと待って、運賃70ドルでアレンジし直してくれる?と言うと、受付嬢は一瞬怪訝な顔をしたが、Noosa(ノーサ)という場所までなら65ドルで乗車することができるという。ノーサがどんな町なのかはまったく知らないが、ブリスベンで何もせずに日銭を減らすよりはましだろうと考えて、僕はチケットを予約した。僕は晴れて北上するGreyhound Australiaの長距離バスチケットを手に入れる。昼過ぎに出発予定のバス乗車時刻まで、待合室で眠ることにした。営業時間内のバスターミナルなら、誰かに無理やり起こされることもないだろう。昨晩のあれこれの出来事を思い返しながら、安全な場所で眠りにつけることに安堵した。大げさではなく、感謝すらした。そして僕はこう思った。予定が決まっている未来を持っていることは、こうも人を安心させるものなのか、と。僕は、出来事にあらがうことなく、ただ身を任そうと考えている。そこに意味がなくともだ。その場から逃げることなく、抗うことなく受け入れ、そして最善の対処をする。ほかにどんな方法がある?目を瞑ると、ブルーマウンテンを背景に抱いた町、カツーンバの美しい星空を思い出した。僕は心から安心し、とても深い眠りについた。彼は夢を見た。女の子の夢だ。この女の子にはどこかで出会った気がする。ああ、そうか。と晶馬は思い当たる。以前にも夢に見た女の子だった。けれど、ずいぶんと女性になっている。涼しい表情をした、すこしばかり近づきがたい雰囲気を持つ人だった。澄んだ瞳は僕を見ていない。どこか遠くのほうであり、どこでもない場所を見ているようにも思える。彼女は今日も依然として世界に対して、自分を開き、受け止めていた。彼女を見て、僕は、安堵した。彼女が存在していることに安心していた。ここは僕の夢の世界であり。現実ではない。しかし、彼女とまた夢で逢うとは思いもしていなかったのだ。彼女は、夢の中の人であり、僕と目を合わすことはない。僕は彼女の数メーター離れたところから、彼女を見ている。彼女は見ている世界を自分もみようとして、その場にいる。
正午を回った頃にブリスベンを出発したグレイハウンド・バスは、軽やかに北上を続ける。様々なことが思い出されるブリスベン国際空港付近を通過する。疲労、焦り、恐怖といった悪いイメージを持っていた建物も、日中の光の中で見ると印象がまるで違う。白色の構造物とガラスが美しい、国際空港だった。バスは、ハイウェイに乗る。行楽シーズンのためか、バス車内はサンシャインコースト方面へ向かう車内は乗客でほぼ満席であり、カラウンドラを過ぎる頃には人の密度で息苦しさを感じるくらいだった。高速バスは何のトラブルもなく海岸沿いを進んでいった。海からの強烈な日差しが車内をつらぬき、誰かがカーテンを閉めた。海とは反対側の窓際席にいた僕は、車窓から対向車線を走る車を眺める。見えるものは、通りすぎる車と、ところどころ荒い地面がむき出しになっている真っすぐなハイウェイだけだ。移動の時間をつぶせるだけの興味を惹かれるものは見当たらなかった。ぼんやりと車窓から外を眺めていた。僕は最近、誰ともまともな会話をしていないことに思い当たる。あまりいい精神状態ではなかったし、誰かと積極的に話したいという気持ちにはなれなかった。けれど、それが寂しさを引き起こすとか、絶望的にさせるというわけではない。僕の言葉は、外に対して閉じている一方で、内ではうるさいくらいに雄弁だった。頭の中ではつねに理屈の通らない議論や無益なおしゃべりが続いており、つかの間静寂が訪れたかと思うと、また別の誰かが話し始める始末だった。(それらすべてが同じ顔をした、複数の自分自身であるという点が実に不可解な光景ではあった)閉じた世界から見る広い世界は、まるで非現実的で、すぐそこに喜びや感動があっても受け入れることは難しく感じられた。逆に、不幸なこと、逆境を生む場面のなかでは僕は冷静に対処できるだろう、と直感で思っていた。僕はいったい何のためにここにいるのか。「楽しい旅行」という感覚はをまったくもつことが出来ずにいた。心底、泥臭すぎる。地面を這いずり回る負傷した野生動物のようだった。前向きで、明るい未来など描けそうにもなかったが、新しい土地が自分自身に何をもたらしてくれるのだろう、という新鮮な期待は持っていた。言葉にしずらいこの思いを、せめて思考の断片だけでも残してみよう、とノートに書き留めていたとき、隣の席の男性に「アー・ユー・ジャパニーズ?」と声をかけられた。声をかけられたことが意外であった。だって、こっちはまったく話す気がなかったのだから。しかし、バスの車内という逃げ場のない状況下では、相手の問いに答えざるを得ない。真隣の人の顔は見ようと思わなければ、見ることは出来ない。危機感に似た感情を持ちつつ、声の主を窺い見ると、色黒で顎髭をしっかりたくわえた小柄なアジア人だった。そして、さっきの発音の仕方やその顔立ちから、彼が日本人であることを確信した。なんと答えようかと思考を巡らせていると、「日本の方ですか?」と今度は、日本語で訊かれてしまった。はたして、僕も日本人だったのである。自分を取り巻く環境、などというものは僕が思っているよりも偶発的なもので、そこに理屈などは存在しないのかもしれない。たかだか10分先の未来の感情すら予測できないのに、どうして1年後の自分が想像できよう?(人の純粋な感情には理屈がなく、未来予測の観点からはまったく当てにならないものなのだ)気分次第でころっと変わるのだから自分が嫌になる。僕は誰とも話したくなかったのに、結局は熱心に話し込んだ。バスの隣に座っていた彼は、関西地方出身の26歳だった。僕の四つ年上に当たることがわかった。彼はこれから、ノーザンテリトリーのアリス・スプリングスまでの行程を予定している。その道のりはこうだった。ロックハンプトンで知人に会ってからバスをトランジットする。その後は、ひたすらにアリス・スプリングスを目指して長距離を走る。その総乗車時間は24時間以上になるだろうと彼は笑った。アリス・スプリングスは、ウルル(エアーズロック)やカタ・ジュタに程近い内陸の町で、それらの国立公園へ向かう観光者の重要な拠点となっている。(ダーウィンやアデレードといった大都市からそれぞれ1,400~1,500km離れており、地理的に隔絶されている)そこから先は、先住民にとって神聖な領域なのだという。彼は先住民とその生活について対して正しい認識を持っている。そして彼らに対して尊敬の念を持っているが故に、現地の住民からも疎まれずに済んでいる。最初の数回こそは、個人での出入りをしていたが経済的な支援をする団体に入っていて活動をしているそうだ。そのため、年に数回、彼は日本からやってきて定期的に現地に通っている。彼が言うには、シドニーのオペラハウス周辺で大道芸をしているアボリジニたちは、生活のために身を売っているようなもので、部族の年長者からは苦い顔で見られている、とも話してくれた。「我々の存在は、見せ物ではない。そして、人と違うことは、隠すべきことであるはずがない」そう言っているように聞こえた。そんな話を聞いてから、土産物屋で見る先住民の装飾が施されたグッズの数々が、どうしても心哀しく見えるようになってしまった。彼は僕のことを覚えているだろうか?僕はアボリジニやディジュリドゥを見るたびに彼の話を思い出す。バスの車内で隣の席に座っていた彼は、大阪でイベンターのスタッフとして活動していた。彼自身もまたディジュリドゥ演奏者でもある、という。ギターを持ち歩いている僕は、彼の興味をひいた。僕自身はロックバンドでの成功を夢見ていること。けれど、現実は思うように行っていないことなど、僕は自分のことを自嘲気味に話した。そんなに謙遜しなくていいよ、うまくいくよ。と言ってほしいという期待を持っていたのだ。「遅いと思うよ」彼は言った。「成功している人間は、すでに成功しているよね。君はもう、遅いんじゃないかな」彼の言葉を聞いて僕は閉口した。「俺の周りにいる仲間たちは、レギュラーイベントでも人気があるグループでさ」僕は自分が話したことに冷や汗をかいた。「そのバンドはね、誰だっけ?こないだテレビに出てたロックバンドがツアーに来ていた時の公演で、前座で演奏をしてるんだよね」ちょっと待ってくれ。居心地が悪い。へえ、すごい人たちなんだね。と僕は曖昧な返事を返す。「あ、公演の後のプライベートパーティでの前座ライブだけどね」彼は、自分の仲間を自慢することで、自分自身がいかに凄いかを語った。その話は、これ以上無いくらいに下らないし、心底面白くなかった。見ず知らずの人(それも、初対面の人)に、言われたことを気にする必要はない。頭では分かっていても、彼の正論と言葉の強さに、内心傷つかずにはいられなかった。僕は、そのあとの彼の話を興味があるような無いような素振りで返事をうちながら、窓の外を眺めることにした。僕の思いは決まっていた。他人の評価の上に自分の価値を置こうとするな。日本に帰ったら、音だけで情景が成り立つ音楽を作ろう。目に見えない感情を音の質感に乗せて、風景を構成する。理想の作品像がはっきりと見えているわけではないが、漠然とそんな風に思っていた。
旅をしていると、いろいろな出会いがある。記憶に残る人、記憶に残らない人。記憶に残る条件の一つは、出会う場所も重要だと思う。偶然を必然だと思わせてくれる様な舞台が整っているなら、僕はきっとその人を覚えている。ディジュリドゥの彼とは、グレイハウンド長距離バスの中で「さようなら」をし、予定通り、僕はヌーサで下車した。ヌーサ、いったいどんな町だろうか。手持ちのガイドブックには、リゾート地のページに小さく載っているだけで、市内地図などの役に立つ情報は掲載されていない。できるだけ早く、働き口を見つけたい。気温が高く、暑い日だった。バス停の付近を歩いていると、さっそくマリン・アクティビティ案内人に捕まった。さすが、観光地である。手に持っているプラカードには、バナナボート80ドル~となっている。(サングラスをかけたバナナが、バナナボートにまたがっている絵があり、そこには「エキサイティング!」と書いてある)そのアクティビティ料金が実際には安いのか高いのか僕には判断できなかったが、そもそもの話、僕にそんな余裕はない。ここに来るまでの長距離バス料金で65ドルを使っているから、手持ちの現金はのこりはおよそ30ドルである。ヌーサのメインビーチであるヌーサ・ヘッズに行けば、当面の職が見つかりはしないかしら、という都合のいい希望を持っていた。仕事にさえありつけたら、泊まるところなどはなんとでもなるだろう。海岸沿いで野宿をすることも選択肢の一つとして考えている。さっきのアクティビティ案内人が、数人の若い女の子たちをバンに乗せ走り去っていった。僕は、小さくなっていく車の影を見つめていた。ふと、海はあの方向にあるのだ、と見当をつけた。見知らぬ町、持っていたガイドブックにはほとんど情報がない。ここでは情報も現地調達である。ギターケースを背負い直してゆっくりと歩き出す。背中が暑い。数キロは歩いただろうか。あることに気が付く。この街は最近整備されたのだろう、舗装されている道路や縁石がどれも同じ新しさを持って見える。道路だけは新しいが、奥に立っている住宅はそれぞれの年代を感じさせる外観を持っていた。郊外の小綺麗な住宅地という雰囲気だった。バラとティーとバルコニーが似合いそうな趣があった。ところでオーストラリアという国は、日本の土地の感覚と比べると2.5倍ほど大きく感じる。歩いても歩いても、風景がゆっくりとしか変化しないのだ。さっきのバンが去っていった方向に歩き続けているものの、何度か交差点や緩やかな曲がりの直線があったせいで、僕は方角を見失いそうになっている。とにかく、東に向かうことに気をつけて歩きつづけた。時折、車道を通り過ぎる車があるだけで、驚くほど人に出会わない。突如、高い壁といくつものブランドサインが広告掲示されている、アウトレットモール風の建物に出会ったが中には入らなかった。最低限に必要な水やクラッカーは、ブリスベンで調達している。普通の人々が持っている「お金を使う楽しみ」とは、今一番遠いところにいるのだ。行く必要はない。そのまま歩き、いかにも高級そうな住宅街をぬけると、ビーチが目に入った。ここがヌーサの海岸。きれいなビーチが広がっていて、青々とした波はいかにも穏やかに、心地よさそうに海岸に打ち寄せていた。
僕はアスファルトで歩き疲れたスニーカーのソールに感じる砂の感触を楽しみながら、ビーチに生えている木陰まで歩いていった。背負っていたギターを下ろす。ジャック・ジョンソンならここで一曲きもちのいい歌を弾き語るのだろうけど、僕はそうしなかった。背中の汗が乾くように体とシャツの間に空間を作り、風をとおした。眼前には、波に乗るサーファー、犬を散歩させる老人、スポーツウェアでランニングしている女性が颯爽と過ぎていくのを眺めた。なんでだろう。こういう時にかぎって、日本の友達や過去に恋人だったひとのことを思い出すんだ。俺はいま、ここに、金もなく、しかし元気にやっている。ビーチに座って1時間もしない間に、ヌーサは比較的裕福な観光客が訪れる場所であるということに気がつく。メインビーチ付近には、ザ・シンプソンズがキャラクターのハンバーガーチェーン店もなく、2~3店舗が集まっているフードコートには、オーガニックを売りにしたヘルシー(それでいて値段は高い)なフードスタンドが営業している。サーファーズパラダイスに比べて、道ゆく人もまばらで、大抵は30~40代のファミリー層の観光客が多い印象だ。そこにきて、このお金のなさそうな異邦人である僕は紛れもなく場違いであった。それでも、ここに来てしまったからには簡単にはあきらめられない。どこかにアルバイトの募集の張り紙がないものか?と、フードコートをうろつく。カウンター前でウロウロとするものだから、店員は不審に思ったに違いない。僕は観念し、4ドル50セントを払ってホットドッグを一つ買った。「ワーキングホリデーで日本から来てるんだけど、この店で仕事はないかな。」若い店員は一瞬考えたように見えたが、結局「ノー、ソーリー」といった。取り付く島がない雰囲気だった。僕はすごすごと引き下がり、もともと座っていたビーチに戻り、ホットドッグを食べた。周りを見渡しても高級そうなホテルが並んでいるばかりで、安い宿泊先はなさそうだ。リング・ノートを取り出し、今日のことを記録しておく。「Noosa Heads:高級なビーチ、適当なアルバイトなし。ホットドッグ$4.50」やはり、バンダバーグへ行くべきだと思う。けれど、バス代すら払えない。僕はヒッチハイクをしてみようかと考えた。ヒッチハイクと言えば、行き先を示すカードが必要だ。適当なダンボールと太めの油性マジックが欲しい。(僕はこの発想を映画の受け売りだな、と思ったが、実際この国では何度もそんな光景を目の当たりにしていた)ビーチに来る途中、歩いてくる時にモールのようなものがあったから、そこで調達しよう。そこ以外に店はなかったはずだ。つくづくコンビニエンスストアの少ない国だと痛感する。それとも日本が便利すぎるだけなのか。来た道を戻っていると、すこし開けた場所に行きあたった。さっきは素通りした場所だったが、腰を下ろすために立ち寄ることにする。なんにせよ、暑い。ギターケースを背負っているせいでTシャツが背中に張り付く。バックパックからミネラルウォーターを取り出す。さっきのフードコートの手洗い場で、水を汲んでおいてよかった。残り少なくなってきた25本入りのボックスから紙巻きタバコを取り出し、火を付けた。彼が視界に入ってきたのはそんな時だった。黄色のTシャツに半ズボンという出立ち。色黒の顔、大きな一眼レフカメラを構えて、あたりを撮影している男。体格をみれば、彼がアジア人であるということは一目瞭然だった。しかも、日本人だと思う。(海外にいると同胞を見つける嗅覚に鋭くなるものだ)彼が僕の10m手前あたりまで近づいた時、僕は「こんにちは。日本の方ですか」と声をかけた。カメラのディスプレイで撮影した写真の出来栄えを確認していた彼は、顔をあげ、こちらを振り向いた。
振り向いた彼は、やはり日本人だった。僕たちは挨拶をし、身の上を話し合った。彼は今年30歳になるそうで、名前はトウジといった。トウジもまた、ワーキングホリデービザを使って、半年前にケアンズから入国していた。これからの計画はどうするのか?と訊くと、主要な町を訪問しながら南下しつつ、先にシドニーに入っている日本の友人を訪ねるそうだ。彼と彼の友人の二人は、オーストラリアで日本人向けの観光ビジネスを始めるために準備をしているという。トウジは、ケアンズにて入国した後は、バンダバーグで4か月以上のファーム就労を終えており、すでに延長ビザの申請資格(セカンドワーキングホリデー)を取得していた。(*1回目のビザで、オーストラリア地方都市において特定活動に3ヶ月(88日間)従事することが条件となる)この延長制度は、日本人に限らず、すべてのワーキングホリデービザ保有者が利用できる制度であり、多くの若者が、主要なファームで就労し、ビザの延長申請を行っていた。ただし、就労条件に入っている職種は、農作業のほか、土木作業や、漁業、林業など、体力を必要とする職種が多く、その点で断念する者も少なからず存在した。これから、バンダバーグで農作業をしようとしている僕には貴重な情報源だった。僕は彼に訊く。「ファーム作業経験者は、口々に『ファーム作業は大変だ』と言いいますよね。実際はどうなんでしょうか」「うーん、仕事自体は普通にできるんじゃないかなあ?みんなやってるわけだし。それに、けっこう給料がいいんだよね。」これはいい情報だった。「一日、幾らくらい稼げるものですか」「一日100ドル以上は固いね。だいたい、時給が12ドルくらいだから。けど、オーナーによるかもしれない」思っていたよりも良い給料で、僕はまだ働いてもいないのに嬉しさがこみあげてきた。「あ、けど宿はどうすればいいんでしょう」トウジは笑った。屈託のない笑いで嫌味なところはみじんも感じられなかった。「ファームについて、本当に何も知らないんだね。宿が仕事を、紹介してくれるんだよ。オーナーが宿主であることが多いかも。いずれにしても、仕事が欲しいなら、周りに負けないようにね」お互いに気が合うと分かって、トウジとはそのあともしばらく話をした。僕がこれからバンダバーグへ行こうとしていること。さらに僕に十分なお金がないということを知った。それを聞くと、トウジは豪快に笑い、よくそれでここに居るね、と言った。どうやっていくつもりなのかと、訊かれ、僕がヒッチハイクする予定だと知ると、彼は気前よく100ドルを貸してくれた。男であっても、日本人のヒッチハイクは、本当にやめておいた方がいい、ということも教えてくれた。偶然の出会いに感謝した。僕たちは、必ずまた会おう、と約束し連絡先を交換した。実際、彼とは数ヶ月後にシドニーで再会している。この時に借りた100ドルは、すこし分厚くなって彼のポケットに戻すことが出来ている。
ショッピングモールを横目に見ながら、来た道を戻る。僕はバンダバーグへ行くのに、またグレイハウンド高速バスに乗ることにした。ヌーサからの発車時刻は、夜の6時。Noosa Headsで下車した場所に着いたあとも、2~3時間は暇な時間があった。その間に、僕は観光客らしい水着姿の女の子グループを見て楽しみ、彼女たちが近くを通っていく度に、はにかみながら「Hi」と声を掛けた。突然声を掛けられた女子たちは、一瞬ぽかんとし、通り過ぎた後で「きゃははは」と笑う。全世界同じ反応をするんだな。変なやつが声を掛けてきたよ。なに、あいつ。笑える。という感じだろうか。まあ、なんでもいい。僕はこれからバンダバーグへ行くんだよ。土にまみれて、農作業をして、またお金を貯めて、どん底から這い上がる。僕はノートにこんなことを書いている。「吐き気がするほど 嫌いな時もあったのに やっぱりお前がいないと 気が狂いそうになるんだ 帰ってきてよ マニー」今は、女の子より生活費。無責任な、ふわふわと地に足のついていない凧のような青年である。バスを待って、ずいぶん時間が経った。僕はただ待った。そうしていたら、また夜が来た。観光客もまばらになった。日が落ちると肌寒い。僕は来るはずのバスを待っている。ところで、もしも満席だったらどうする?あまりに暇なので、一人でゲームをすることにした。コインを投げて、表だったらバスに乗れる。もし、裏だったら、満席だ。キン、という音がしてコインが宙を舞う。回転してまた拳に返ってきたコインの向きは、裏だった。
世の中はどんな風に回っているのだろう?僕は時々、こんなふうに想像する。もしかしたら、認識して初めて、ものごとは存在するのかもしれない。つまり、僕がその可能性を認めなければ、存在すらしない。少なくとも、知らずに済む物事はある。僕の見ている世界は、僕が認識しているものでしか存在し得ない。僕は、これまでに多くのことを知らずにいたし、これからもたくさんのものを見逃すだろう。そして、その間も世界は回り続けている。ひと一人の気持ちなどいっさい関係なしに、淡々と回り続ける。僕が望めば、なにが起こっているのかを、知ることはできるだろう。僕の見ている現実のレイヤーに、すこしだけ手繰り寄せることが出来る気がするけど、それは知ったつもりでいることも多いんだろう。視界をシャットアウトすれば、見たくないもの、望まないものは、遠ざかっていく。ただ、心から望むものも、やはりそれと同じだけ遠ざかっていく。この感じは、綿あめつくりの機械みたいなものだ。ザラメを投入するだけでは綿あめは出来やしない。自分から手繰り寄せて、時に、流れに抗って、はじめて綿あめとなる。誰しもが、こんな風にいくつもの綿あめを作ってきている。僕の現在も、多分そうなんだ。これもまた、あたらしい綿あめになるはずだ。きっと不格好だろうけれど。と、考えた。このひどい状況のなかで、客観的に考えることが自分を保つ手助けになっているように思われた。これも、現実のレイヤーに自分で足した、一枚のフィルターのようなものだろうか。そんなことを考えていたら、煌々とライトを照らすグレイハウンド・ハイウェイバスが到着した。
再びのGreyhound bus。車内はほぼ満席だった。空いている席を探し、タイヤの真上の座席をみつけた。ギターケースは、荷物置きに預けず、脚の間に押し込むことにした。グレイハウンド・バスは、淡々と夜のハイウェイを北上する。窓の外を見ても、規則的に並んでいる街灯が見えるだけで、他は何も見えない。街灯の奥のほうには、広大な岩山が広がっているのだろうか。オーストラリア内地は砂漠のため、ほとんど人が住んでいない。人口密集は、沿岸部に集中している。そして、その大部分が東海岸だ。国土としては、日本の約20倍の大きさがあるけれど、人口は約1/5という、とても自然が豊かな国なのだ。人の手が入っていない自然がすぐそこにある。日本にすんでいる感覚よりも、もっと身近に、むきだしの自然があるのである。自然はチカラを持ったまま、存在している。人間なんて、ちっぽけなもんだ。日本にいるとき、制作がうまくいかなかったり、仕事が見つからなかったり、生活にゆとりがなかったり、うまくいかないことがたくさんあった。それで気分が落ち込んで、社会を斜めに見るような価値観を持ってしまっていた。楽観的で、甘い考えで生きていたんだろう。うまくいくイメージを持つのは得意だけど、それを実現させるだけに必要な手段を探ることや、実行し続ける力が不足していた。そのなかで自分を守るためには、自分の中で抽出され形成した価値観にしがみつくしかなかったのだ。今は思う。それって何の意味があるのだろう?その考え方は、自分を含めて、だれか人一人でも喜ばせることが出来るのだろうか?その考え方は、自分が心地よく生きていけるのだろうか?やりたいことと、自分の得意なこととは、もしかして違うんじゃないだろうか。次々と頭に浮かび、脈絡なく出てくる言葉や考え。この時の僕には、そのひとつひとつの相手をするだけの時間の余裕がたっぷりあった。シドニーを出てからというもの、ひとりでいることが多く、北を目指すこの旅は、ほとんど人と話すことがない。僕は、僕の頭のなかに、すぐに到達できるようになってきていた。自分の思考の特徴や、目を背けたがる話題。あるいは、何度も何度も浮かんでくる事柄について。この旅は自分との対話をするための旅になりつつあるようだった。深夜になり、車内のあちらこちらから静かな寝息が聞こえ始めたころ、突如、車内アナウンスが鳴った。「このバスは、まもなくバンダバーグに到着します。お降りのお客様はご準備ください。」時計を見ると、AM2:00を回ったところだった。
グレイハウンドバスはハイウェイを降りていく。徐々に速度を落とし、バンダバーグのバス停留所へ向かっている。バスが右や左に曲がるたびに、車体が揺れ、じゃりじゃりとタイヤが砂をかむ音が大きくなっていく。市街地のほうへと進んでいるようではあるが、真っ暗で、町の様子は見当がつかなかった。時刻はAM2:15を指している。バスがそろそろ停車するのか、数名の乗客が降車の準備を始めた。僕は、真夜中の知らない町に不安を感じた。バスがロータリーに入っていく。転々と、緑色の設備灯があるものの、辺りはかなり薄暗い。この時間だから、当然のことながらバスターミナルにはシャッターが降りていて、まるで廃墟の様な不気味な雰囲気だった。ここのところ、まともではない状況に居ることが常態化しているような気がする。ロータリーをぐるっと回ったところで、バスは停車した。にわかに人が降りだす。10名ほどが立ち上がる。思っていたよりも多くの乗客が降りることに、少し安堵する。ギターケースを乗客にぶつけないように気を付けながら、バスを降りた。地面に降り立つと、まだ体が振動しているような錯覚に陥った。狭い座席でこわばった脚をさする。さあ、着いたぞ、バンダバーグ。町にはほとんど街灯がなく、どんな風景が広がっているのかさっぱり分からなかった。見えていないだけで、広大な農地が広がっているのかもしれない。想像すると身震いした。そして、幾度となく頭に浮かぶ言葉。「明日はどっちだ!」 降ろすべき乗客を降ろし終えたグレイハウンドバスは、さっさと走り去っていった。暗闇の中光っている赤いテールランプは、仕方なく点灯しているようにみえた。深夜のバンダバーグ・バスターミナルに近づいてみると、思いのほか人で混みあっていた。バンダバーグは、観光地ではない。すでにターミナルにいた先客も含めて、皆バックパックを背負っていることから、ワーキングホリデーのビザ所有者とみて、ほぼ間違いないだろう。僕自身も含めて、バスから降りた乗客たちは、まず大通りに出て、町を探した。しかし、あまりにも街灯がなく、暗いことに怖じ気づき、ターミナルに残ることを選択する。何名かの者は、暗い道をフラッシュライトを照らして進んでいった。それを見て、ライトを持たない丸腰のグループは数分後に帰ってきた。
晶馬は、次第に引き返してくるグループたちの行動を見て、日が昇るまではターミナルに残ることを決めた。深夜に土地勘のない町を歩くことは得策ではないだろう。彼はブリスベンの夜に学んでいた。今夜の宿は、バスターミナルで野宿である。晶馬と同じように、日が昇るのを待っているグループも多く、庇のあるターミナル周辺は、すでに人々が陣取っていた。そこで、晶馬は同じロータリー内にある小さな広場に向かう。青天井であるものの、ベンチがあった。夜風は乾いていて、今夜は雨が降ることはなさそうである。ギターケースをベンチにもたせ掛け、自転車用のワイヤーロックを回す。夜が明けるまで3時間ほどはあるだろうか。明日のために、仮眠を取っておこうと考えた。日が昇れば、この町の様子も分かってくるだろう。晶馬は簡易ライトのスイッチをつけ、バンダバーグでの初日について、ノートに走り書きのメモをする。明日は、宿と仕事を探すこと。彼はバスタオルで簡易的に枕をつくり、眠る支度をする。明日、何をすればいいのか分かっているということが安心感に繋がった。その安心感は、自分が存在していてもいいのだと思える誰かに許容されて得られる種類のもので、現状の自分について腹落ちするために必要な感覚だった。
晶馬は、耳元で鳴く蚊の音によって不快感と共に目が覚めた。すでに日が高く昇っていて、明け方ではないらしい。時計を見ると9時を過ぎていた。ずいぶん寝過ごしてしまったらしい。気温が高く、肌に張り付くシャツが気持ち悪い。この時にはすでにバスターミナルも開いていて、昨晩、闇の中にいた群衆たちの姿は見えなくなっていた。僕は寝過ごしてしまった自分に舌打ちをした。目指すべき農場はどこにあるんだ?この町の土地勘が全くないため、どこかのグループに付いていくつもりだったのだ。大通りに出ると、延々とまっすぐにつづく道の先に、町らしき建物群が見えた。シドニーでは、日本語で仕事をあっせんしてくれる所(エージェント)が存在した。でも、おそらくバンダバーグには、そういう場所はないだろう。僕は、トウジが言っていたことを思い出す。「宿屋が仕事を紹介してくれる」。そう、宿さえ見つかればなんとかなる。町に行けば、なんとかなるだろう。晶馬は、町の方へ向かって歩き始めていた。バス・ターミナルを出発してから、すでに1時間は経っている。バンダバーグの土地勘も向かうべき宿の当ても無いから、この道があっているのかどうかは分からない。道が交差するたびに建物が多くありそうな方へ方向転換しているから、同じところをくるくる回っている可能性もあるし、もしかしたらすでに迷っているのかもしれない。そんな風に町の中心を目指して歩いていると、スーパーマーケットとチャリティー・ショップを見つけた。ショッピングモールとか娯楽施設とか、そういったものは今のところ見当たらない。空は広く、道も幅広いのに、どこか閉鎖的な、どこかで監視されているような妙な感覚を覚えた。徒歩で出歩いている人をほとんど見かけない。車はそれなりに通行している。この町ではピックアップトラックが多く、その多くが農機具や出荷物と思われる木箱や段ボールを積みあげていた。だんだんと太陽が高度を上げてくる時間帯に差し掛かっている。日陰のない道を延々歩いている中、ようやく木陰を見つけて立ち止まった。足元にはたくさんのドングリが落ちている。一瞬、これだけのドングリが全て木になったら、ここはジャングルになるだろうな、と想像した。けれど実際には、ドングリの発芽率は1%にも満たないのだという話を思い出した。地面に落ちたドングリの多くは、動物や虫に食べられたり、土の状態(アスファルトでは絶望的だろう )が適していなかったりする。また、ドングリが落ちたところの日当たりの良し悪しも関係する。運良く、土の上に乗り、根を伸ばすことができたとしても、冬を越すという試練がある。芽が出るところまで到達しても、動物に食べられることがある。それらすべての条件をクリアしなければ、大人の樹になれない。だからこそ、これだけの数のドングリがあるなかで、たった100分の1なのである。すべては、種を残す、という目的を達成するためだ。環境や他の動物のせいにすることもなく(むしろ動物や昆虫を養っている)、木は、できる限りのことを粛々とやっているのだ。そう思うと、不思議に身震いした。孤独の中で常に自分自身と対話している彼の感受性はとても高く、目に写るものの多くから「意味らしきもの」を見つけることができるのだった。またしばらく歩くと、おそらくだが、町の中心地と思われるところまでやってきていた。(店の看板などに”CENTRAL”という文字を見かけるようになった)。大きな道路沿いに、何軒かのモーテルを見つけていた。けれど僕が探しているのは、仕事を紹介してくれる宿でバックパッカーである。いい加減に探すのも疲れてきた頃、ふと、カラフルな壁画が目に飛び込んできた。そこにはこう書いてある、『City Centre Backpackers (AT WORK)』。探していた印はここにあった。けれども、こんなにわかりやすい看板(実際は壁画)があるとは、想像もしていなかった。今歩いている通りは、マクリーン・ストリート。この先交差する大きな交差点の道路が、バーボン・ストリート。目指すべきシティ・センター・バックパッカーズはちょうどその角に建っていた。晶馬は、目的のバックパッカーの目の前について。道路から見える二階部分は、半外の回廊になっていて、たくさんの洗濯物が干してあり、そこに住む人の生活感がはっきりと見て取れた。その影に何人かの若者も見えた。上半身が裸の男も何人もいた。古くて安そうな宿だが活気があり、放課後の学舎のようだった。外国の映画で見たスラムタウンの雰囲気がある。宿のエントランスは、従業員通用口のような雰囲気で多くの場合と同じように重たい鉄扉だった。いつから貼ってあるのか分からない、オフィスアワーを記した紙が一枚、扉にかかっている。[Office Open 8am~10:30am Each Day]腕時計を見ると10時30分にはまだ早い。知らず込み上げてきた唾を飲みこみ、鉄扉を押し開けて建物の中にはいる。押してみると予想していたよりも軽い扉だった。何人かの住人らしき若者がオフィス前にいた。掲示板の前に立ち、張り紙を見てなにか話をしている。オフィスと言っても通用口の脇にある質素な小部屋で、言うなれば警備員室のような雰囲気だった。小窓を覗きみて、誰かいないかと探した。そこから見えたのは、大量に重ねてあるコピー紙や、のみかけのコーヒーカップ。机の上に何本も転がっているキャップ付きボールペンに、ファイルケースが納められている立て付けの悪そうな棚板だった。雑然と散らかっている小さなオフィスの中に人影はない。掲示板の前にいた若者に、「オーナーはどこにいる?」と尋ねてみるものの、彼らは「知らない」と言った。掛け時計を見やってから「多分戻ってくるんじゃないかな」と付け足した。彼らは、ここでの日常に馴染んでいてどこか晶馬を余所者扱いするところを感じた。晶馬は彼らの仲間の連帯感による癒着を感じ、どこか敗退的な諦めを持ちつつその場を離れることにした。建物内でオーナーを待つことにした。よく見ると、オフィス横の出入り口には、廊下側から南京錠が掛けられている。廊下を進んでロビーに出た。すこし開けた場所になっており、部屋の隅に古びた卓球台があった。伸び切ったネットは台に付きそうになっている。近くにラケットは見当たらない。ラケットがあったとしても一人では遊べない。(ビリヤード台だったらよかったのに)晶馬はそう思った。ロビーの正面には、やけに立派な手すりのある回り階段があり、他とは完全に不釣り合いであった。いわば、その階段だけが異様な存在感を放っていた。ロビーの奥にも左右に分かれる廊下があり、それぞれ、共同キッチン、一方はテレビルームへと分かれているようだった。その先には外に繋がる勝手口があり、扉は開いている。外の光が廊下に差し込んでいる。風は心地よかったが、そのせいでフロアカーペットの踏みしめられた湿気のような建物の古びた匂いさえも際立たせていた。壁掛けの時計をみると、10時30分を回っていた。オフィス前へ戻ると男がオフィスの南京錠に鍵をかけているところだった。男はがっちりとした体格で、背が高く、染みの浮き出たつば付き帽をかぶっている、おそろしく腹が出ている初老の男だった。僕は、「すみません、ミスター」と声を掛ける。南京錠をかけ終わった男は、僕を見る。背中にはリュックサック。手にはギターケース。到着したばかりであることはすぐに分かったはずだ。「ここで泊まって、そして、働きたいのですが」矢継ぎ早に「部屋はありますか」と尋ねる。するとオーナーは「ちょっと待ってろ」と言って、南京錠を開け直した。いっしょに部屋に入ろうとする僕を制して、オーナーは小窓から見える机についた。指紋やなにやらでレンズの汚れた老眼鏡をかけ、使い込まれたノートを開く。宿泊台帳だろう。オーケー、ベッドはあるな‥などとぶつぶつ言っている。「で、おまえさんはセカンド・ビザを取りたいのか?」ふいに眼鏡の奥からギョロリと覗き込まれた。オーナーに問われたのは、セカンド・ビザ、つまりワーキングホリデービザの延長制度を利用したいと思っているのか、という質問だった。しかしながら、晶馬にとって急務であるのは、今日明日の食事と宿を確保することであり、数か月先のことまでは考えてはいなかった。晶馬は、正直に「よく分かりません。でも、2か月間は働きたいと思っています」と答えた。この場合のI’m not sure. や May Be.などは日本人がよく使う言葉として認識されている節があるものの、その曖昧な態度は嫌われ、揶揄される傾向にある。自分の考えを持たないことは恥ずかしいことだ、という文化が根付いているのだ。分からない、知りません、たぶん…。この辺の言葉は使わないでいいようにしておきたい。オーナーは満足とも不満とも言えない顔で、鼻を鳴らした。しばし、沈黙。「あのう、それで部屋に空きはありますか」晶馬は尋ねる。ついて来いと言わんばかりに、オーナーが二階へ案内する。さっき見た回り階段(よく見るとバロック調の立派な装飾が付いている)を昇る。近づくほどに、床・壁・天井のそれらは質素でお粗末なものであった。だからこそ階段だけが異様な存在として際立っている。オーナーの大きなおしりを眼前に見ながら、僕はさっきオフィスで話したやり取りを思い出していた。それは簡単な面接だったのかもしれない、と思い当たる。案内された部屋は、二階の踊り場を右に行ったところの右側、3段ベッドが2つある六人部屋のドミトリーだった。3段ベッドの真ん中(二段目)を指し、ここを使えという。ほかの5つのベッドにはそれぞれ荷物が置かれている。それらは天井からお手製のカーテンが垂れ下がっていたり、服や生活道具が大量に積まれていたりと濃厚な生活感を感じたものだったが部屋には誰もいなかった。ギターケースとバックパックをベッドに降ろすと、オーナーが付いてこい、と手招きした。部屋を出てさらに右へ進んだ突き当りに、シャワールーム。そこには、二つのドアがある。驚くべきことに男女の別はないようだった。それだけ案内すると、さっき昇ってきた階段を降りる。一階には、男女別のトイレ(蛇口がいくつも付いた長い洗面所も併設)と共同キッチン、TVルーム、そして勝手口を出た先の中庭がある。自分がこれから生活をする場所を一通り見て、再度ロビーに戻ってきた。「仕事は、毎日16時~18時の間にここで告知する。仕事が欲しい時はロビーへ来い」宿泊費は前払いで、一日27ドル。一週間分をまとめて払ってもいい、と言う。しかし今は手持ちがないことを伝えると、ぎょろり、と目をのぞき込まれたが、それなら一日分の金で良いと言った。オーナーは金を受け取ると、「今日の夕方、ロビーに来い。遅れるなよ」と釘を刺し、オフィスへ戻っていった。
夕方まで、まだまだ時間の余裕があった。表の商店で、ミネラルウォーターくらいは買っておいたほうがいいだろう。部屋に戻る前に、中庭で煙草を吸う。建物の陰になっていて風が心地よい。ちいさな中庭だったがテーブルがあり、居心地は良さそうだった。庭をくまなく歩いてみると外階段が見つかった。興味本位で登ってみる。すると、二階のシャワールームの近くに繋がっていることがわかった。この階段を使えば、部屋からもすぐに中庭へ降りられそうだ。自分の行動を一つずつ想定していく。せっかく宿が見つかったのだ。早くこの場所に慣れていきたいと思った。晶馬は、この数日間、風呂に入っていないことを思い出した。汗や砂で汚れ切っている体をシャワーで流してしまおうと考え、部屋に戻った。部屋にはひとりの住人が戻っていた。同じくらいの年齢の若いアジア人男性。向かいのベッドの3段目が彼の居場所らしい。彼を見たとき、彼はMacBookProをひらきiTunesで音楽を聴いていた。(2007年にMacBookProは非常に高価だったから、バックパッカーに似つかわしくないなと思ったことをよく覚えている)晶馬は「よろしく。今日からこの部屋に住むよ」というと、にっこり笑顔になった。そして彼は、矢継ぎ早に質問を始めた。まず、おまえの名前は?から始まり、どこから来た?日本人か?おまえの持ってる、それってギター?何才?。と、僕はそれらの質問のひとつひとつに答えながら、やたらと笑顔で尋問をしてくるやつだなと思った。ただし、悪い奴ではなさそうである。大きな相槌を打ちながら聞いていた彼は、質問の答えに満足したのか上機嫌に笑う。どうにも調子が狂う。ここ最近では出会ったことがないタイプの人間だった。彼の名前はスンと言った。韓国人だった。スンがベッドにいながら煙草に火をつけるものだから、つい外に誘った。スンは慣れた様子で三段目から降りてくると、さっさと外階段へと歩いていった。シャワールームはこの時すでに二つとも使用中のサインになっている。シャワールームを見ていた僕に気がついたスンが、「夕方はすぐに混みあうから、時間をずらしておいたほうがいいぜ」と言った。スンは、ここで暮らし始めて2か月半ほどらしい。スンがこのバックパッカーに慣れたているように見えたのは、実際のところ本当に慣れていたからなのだ。「あと、お前ちょっと匂うぜ」晶馬はスンに「わかってるよ」と言う。スンにいつまでこのバックパッカーに滞在しているつもりか尋ねる。スンは、考えるまでもなく、あと一か月くらいだ、と答えた。延長ビザを取れる権利書にサインをもらえたら、それでおさらばだよ、とスンは言う。どこか行きたい場所があってのことか、と尋ねるがそうではないらしい。「俺は延長せずに一年経ったら韓国に帰るよ。88日間の就労証明書は、セカンド・ビザを欲しがってるやつに売るの」スンは平然と言う。そんな取引が可能なのか。「とはいっても内緒でね。俺たち韓国人には徴兵制度があるんだよ。国民の義務ってやつでね。べつに戦地に行くわけじゃないけど、2年ちょっとは、訓練部隊に入らなくちゃいけないからさ。だから、徴兵される前に羽を伸ばしに外国へ行って、それで外貨を持って帰るの。いまは韓国ウォンは安いからさ。外貨を持って帰ると韓国では金持ちでしょ。俺は金が欲しいの。多くの場合、それが目的だよ。実際、多くの友達がそんな風にしてるよ」その話は晶馬の心を打った。スンの言う就労証明の転売の話は信憑性に欠けるような気がしたけども、徴兵義務の話は驚きだった。晶馬と同じようにワーキングホリデーに来ていても、今を生きる姿勢が全く違う。帰国後の未来のことまで考えて今するべきことをしているスンと言う若者に対して、晶馬は素直に尊敬の念を抱いた。晶馬はシドニーで、羽目を外している韓国男子をたくさん見てきた。スンから聞いた背景を知ると、その理由がすこし分かった気がする。
2022 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa
(Chapter 3 は来週の日曜日、正午12時に公開されます)