まえがき
今から13年前の2007年にオーストラリアへ行ったときの話をしたい。国が推奨するワーキングホリデー制度を利用し、関西国際空港からの片道切符でオーストラリアへ入国した。22歳の僕は、どこへ行き、なにを感じたのか?今となっては、おぼろげな記憶。そこから正確な事実を書き起こすことは、とても難しい。日本を発つ前、バンドマンとしての成功を夢見ていた、地に足のついていない、凧のようにふわふわと、常に不安定な若者だった『僕』。異国での十分な資金もない生活、日銭を稼ぎ続けることで糊口を凌いだ日々。オーストラリアでの生活は約一年、たった一年間の旅。期間は短くとも、その経験は、自分にとってはターニングポイントとなっている気がする。その実感は、後になってわかってきたこともある。物語を記述として、可能な限り正確に書き起こすための手掛かりになるのは、その期間に書き残していたノートブック。一枚一枚ページをめくり、少しずつ思い出しながら、文字に起こしてみたいと思う。実際に書いてみると、事実とは異なる、尾ひれがついた「フィクション」になってしまうかもしれない。しかし、可能な限り事実に基づく記述にしたい。すでに10年以上の年月が経っていることで記憶が薄れてきてしまっている。筆を進めるために、必ずしも時系列順に書くことにも、あえて拘らない事にしよう。これは、語りたいエピソードと記憶の思い起こし順を優先する。なお、物語に登場する人物や会社名は実名としない。改めて掘り起こす記憶の断片。それぞれのエピソードが繋がったとき、どんな物語になるのだろうか。ぜひご一緒に。
Ⅰ
斎藤晶馬は国際線の飛行機から無機質な風景を眺めていた。「皆さま、今日もJETSTAR880便、関西国際空港行をご利用くださいましてありがとうございます。この便の機長はジョン・ブラウン、私は客室を担当いたしますリンダ・ミラーでございます。まもなく出発いたします。シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。関西国際空港までの飛行時間は13時間20分を予定しております。ご利用の際は、お気軽に乗務員に声をおかけください。それでは、ごゆっくりおくつろぎください。」機内アナウンスがながれ、機体は滑走路へと入っていく。速度を上げるにつれ、窓から見えるシドニー国際空港の建物が実態を保てなくなっていく。線状に流れる映像を見つめながら、斎藤晶馬はカメラのシャッターを切った。機体が安定飛行を保つことのできる高度まであがり、CAが機内を歩き始める頃に彼はバックパックからノートを取り出した。オーストラリアに入国してから四冊目のリングノート。生活に必要なメモから日常的につけてきた日記、そして誰かが書いた落書きにいたるまでが、乱雑に所狭しと書き込んである。彼はこの一年間の中で、幾度か打ちのめされていた。金がなく、腹を空かせていることはしょっちゅうだった。ソフィアに出会っていなければ、彼は生きる目的を失い、笑うことを忘れていただろう。都会の中で感じた孤独感。チャイナタウンのフレデリック・チャンのレンタルビデオ店。さまざまな思い出が、断片的に映像となり頭をよぎった。その全てを語ることはできないけれど、少しずつ話を進めよう。
長距離バスの車窓からはときおり海岸線が見える。海には、スローモーションのように見えるほどの大きな波が立っていた。ブリスベンへと向かう電車の車中で、僕はくたびれた二つ折りの財布を開いた。手元には100ドル少々の現金しか持ち合わせていない。あとは、日本の銀行口座にすこしばかりの預金があるが、これも残高が怪しいため安易にクレジットカードは使えない。出発地のシドニーを発つ前には、ある程度の旅の資金も揃っていた。日々のチップや、労働の対価として受け取る週払いの給料を旅の資金として毎日少しずつスニーカーの空箱に蓄えていたのだ。わずか数ヶ月の間にボロボロになったアディダスのスーパースターと引き換えに、箱の中は色とりどりのお札で満たされている。数えてみると、ざっと3,000ドルを超えていた。オーストラリアに入国して三ヶ月、そろそろ次の仕事を見つけなくてはいけない時期だった。(ワーキングホリデービザでは、同一の雇用主のもとでは三ヶ月を上限に契約更新できない仕組み)どこへ向かうとも自由。すべてが見知らぬ土地。見知らぬ人々。見知らぬ文化、風習。何を見、どんなあり様で生きることも定められていない。なにもかもが未定であることは置き去りの自由だった。そして、これほどに怖いとは感じたことがない自由だった。
無目的的にオーストラリアの東海岸を北上し、ケアンズからエアーズロックへと向かう旅の計画を立てた。その道中は長くなる。現金で持っている大金の半分を、市中銀行へ預けることにした。国内大手のANZ(オーストラリア・ニュージーランド銀行)の口座は入国したとき口座を開設していた。ATMは小さなパブにも設置してあるし、ANZに預けておけば国内のどこででも金を出すことができるだろう。1,500ドル(当時の為替で約14万円)を封筒へ入れ、仕事のない平日に市中銀行に預けにいくことにした。銀行へ入ると、店内はテーマパークの入場規制のようにロープで区切られ、多数のひとびとが列をなしていた。外国の給料日は知らないが、日本で言う五十日のような日に当たってしまったのかもしれない。窓口に到達するまでにどのくらいの時間がかかるのか見当もつかない。外国のATMは店の外壁に面して設置されていることが多く、公共の面前で大金を扱うことにすこし躊躇をしたものの、店外のATMへと向かうことにする。僕は封筒に入れた大金を握りしめて踵を返した。ATMで入金をしたのは初めてだった。画面に表示される文字に戸惑いながらも手続きを進めた。Depositという言葉は知っていたから、ボタンを押すと、難なくキャッシュディスペンサーは口を開いた。お金を投入すると口が閉まった。ATMの画面上、たしかに入金されたことを示す「*$ 1,500.00*」の表示がされた。それは、なんとも誇らしい気持ちだった。この金は、僕が外国で働いて、じぶんで稼いで貯めたカネだ。数ヶ月前に、シドニー国際空港に着いた時の所持金が日本円でわずか二万円程度だったことを思うと、当面の旅の資金はできたことを祝福したい気持ちになった。我ながらよくやっている。ホッとして周囲を見ると、うしろに数名の利用客が並んでいた。操作に手間取ってしまったことに、申し訳なく思い、そそくさとその場を立ち去った。祝杯のエールビールを飲むために行きつけのパブへと向かう。片言の英語でも、飽きずに相手をしてくれる初老のオーナーに会いに行こう。ついに、この場所を離れる時が来たのだ、と。これまでの出来事に乾杯をしよう。飲み物の代金を支払うために財布を開く。僕の背中はここで凍りつく。そこにあるべきはずの銀行のキャッシュカードがないのだった。財布の中、左右のポケット、後ろポケット。それからリュックサックの小ポケット。探せるところはすべて探したが見当たらない。祝杯のビールもそこそこに、来た道を急ぎ足で戻りながら自分が置かれている状況を整理した。「もしかしてキャッシュカードを取り忘れたのかもしれない」と思い当たる。けれど、ATMでカードを取り忘れるなんてことが現実にあるのだろうかと疑問に思う点もあった。普通なら、入出金取引が終わったらカードは自動で排出されるものである。気持ちが楽観的な思考に傾いていることを感じた。悪い方の可能性があるとすれば、カードが吐き出されない場合だけだ。急速に回るアルコールに支配されそうな頭を全回転させながら、起こりうる可能性を洗い出した。そして、疑惑は一点に絞られた。「なぜカードが吐き出されなかったのか?」そこまで思い当たったとき、嫌な予感がした。
預け入れをしたATMまで戻ってきた。息が切れ、胸が苦しい。悪い予感でいっぱいになっていた僕を裏切る様に、簡単にキャッシュカードは見つかった。散らばっていた明細書の屑とともに、そのカードは落ちていたのだ。悪夢とは、やはりただの夢だったのだ、と安心したのも束の間、残高照会の結果を目にして愕然とする。ついさっき預金したはずの1,500ドルが、きれいさっぱり無くなっているのだった。僕は半ばパニック状態で窓口へ向かった。窓口へと続く行列はいまだに長く伸びている。僕がただ事ではない顔をしていたに違いない。ほかの客は、訝しげにこちらを見ており、僕と目が合うと即座に逸らすほどだった。このときの待ち時間ほど長く感じられた経験を僕は知らない。ついに自分の順番が来て、焦りを抑えつつ窓口で状況を説明した。今日の昼前に、店外のATMで1,500ドルの預け入れをしたこと。その後、キャッシュカードを取り忘れた可能性があること。現在の残高が、まったくのゼロになっていること。こちらとしては緊急事態である。異様な目で見られることに構っている場合ではなかった。身振り手振り、状況を賢明に説明した。窓口の行員は、僕に本人確認証の提示(パスポート)を求めたうえで、口座の入出金記録を確認してくれた。「さきほどの預け入れの後、すぐに出金されているようです。あなたが操作したのでは無いのですか?」疑るような目で行員が僕を見る。
愕然とした。窓口の行員から発せられたその言葉は、その場に座り込むほどの厳しい宣告だった。最悪のストーリーだった。まるで奈落の底へと落とされた気分だ。つまりこういうことである。ATMで入出金の取引中のまま、その場を後にしてしまったのだ。呆れるほどに世間知らずの馬鹿野郎である。そして、次に待っていたATM利用客に、根こそぎ持っていかれてしまったのだった。1,500ドル、それは、その日暮らしの僕にとっては大金だった。日給70ドルのアルバイトをして、20日間以上の労働が必要な損失である。紛失した時の状況を知るために、銀行に捜査協力をお願いする。しかし、監視カメラの開示などは、「出来ない」の一点張りだった。何故、と問いかけても的を得ない返答しか返ってこない。問答の後、長い沈黙があった。もう、これ以上の協力は期待できそうにない。(外国だから、僕の英語力が足りていなかったのかもしれない。その場を引き下がるほか、道はなかったのだった)僕は、自己責任、という言葉をかみしめた。一瞬にして、消えてしまった1,500ドル。悔しさが消えることはなかったが、僕は持ち物を整理することで、旅の資金を集めなおすことにした。
数少ない知人や友人(その大半が、地元のパブで顔なじみになった人々)に、名ばかりのお別れのパーティーをしてもらった3日後、僕はシドニーの長距離バスターミナルにいた。これから東海岸を北上し、ケアンズ方面へと向かうつもりでいる。銀行での1,500ドル事件があって以来、僕は持ち物を整理し、アルバイトの時間を長くしてもらうことで経済危機の立て直しを図っていた。一か月前に手に入れたPeaveyの10Wギターアンプを半値で売却し、渡航するときしか使っていないまだピカピカのスーツケースは100ドルでバックパッカーに譲った。失った1,500ドルの半分程度にまで資金は回復していた。この機会に持ち物を最小限にすることにし、生活の中で増えてきた書籍や道具、冬物の服はまとめて国際便で日本へ送った。9月、南半球の季節はこれから春へと向かう。ブリスベンに向かうべく、23時発のグレイハウンド・バスに乗った。グレイハウンドはオーストラリア国内を網羅しており、長距離移動には欠かせない交通手段だ。最初の目的地は、ブリスベン。オーストラリアに滞在できる期間は約9か月。ブリスベンで新たな仕事を見つけ、生活を立て直すつもりだ。シドニー~ブリスベンは、距離1500km、時間にして約16時間の距離だ。同じバスに乗車した客の中には、何組かの旅行グループが同乗していた。時刻は深夜へ向かうが、車内は浮足立った賑やかさがあり、それは、車内灯が消される深夜までつづいた。個別の席についているダウンライトを点け、ノートに書き込む。シドニーは散々だった、と。翌朝、目が覚めると、バスは海岸線を走っていた。僕はオーストラリアの有名な地、サーファーズパラダイスを思い出し、急遽ゴールドコーストで下車することにした。
ガイドマップを頼りに、安宿のドミトリーへ到着する。ひとまず、三日間の予約を取った。そのホテルは、バブルの時代に建てられたような趣のある、5階建ての巨大な集合住宅だった。渡された鍵の部屋に入る。鍵を開ける瞬間はいつも少し緊張する。部屋には、すでに先客がいた。狭い室内に、二段ベッドが二つあるドミトリー。きくと、ブラジルから観光に来ている兄弟だった。空いていた方のベッドの2段部分に手荷物を置き、下の段に腰を降ろした。兄弟は、束の間の同居人である僕に興味を持ったようで、こちらをチラチラと見ている。兄弟のうち体格の小さな方が、「日本人か?」と聞いてきた。そうだ。と答えた。オーストラリアでは韓国や中国からの留学生や就業者も多いため、よく国を間違えられたものだが、この兄弟は言い当てた。「そうか、日本人か。俺は日本のアニメが好きだ。」などと日本への興味を示してきたので、しばらく他愛もない会話を続けた。体格のよい方(たぶん兄)「ハーブは吸うか?」と訊いてきた。僕は、すこし戸惑いながらもこれも旅の思い出だろう、と考えその輪に入った。ジョイントにしてあるハーブを見知らぬ異国の兄弟と順番に吸った。兄弟のうちの弟の方が、唇を切っていて、ローリングペーパーからは仄かに血の味がした。短いジョイントはすぐに無くなり、ブラジル人の兄弟は、なにやら母国語(ポルトガル語)でおしゃべりをした後、スイミングパンツを取り出した。どうやら、ホテルの室内プールに行くらしい。一緒に行かないか?と誘われたが断った。疲れもあったが、旅先でやたらハイになっている兄弟と少し間を置きたかったからだ。明日の予定は?と訊かれたので、僕は日用品の買い出しに。それから、せっかくだからビーチに行ってみるよ、と言った。そして、兄弟と別れた。
他人と比較してしまう自分が嫌いだった。自分が持っていないものを数えて、手に入らないのならば、いっそ失いたいと思う、ある種行き過ぎた考えに取り憑かれていた。自分がこしらえた闇は思いのほか成長し、手に負えなくなると誰かの力でやさしく救われたいとまで考えていた。逃げれば追いかけてほしかった。そういった諸々の幻想は、他人とかかわることを拒絶するほどに、自分の考えに固執する”正当な理由”となってゆくのだった。閉じられた世界の殻にこもり、悲観に暮れることで救われていたのは、自分ひとりだけだった。いつだって、僕に甘い言葉をかけ、僕を正当化するのは紛れもない自分自身だった。しかしその闇は誰にも気づかれることはなかった。僕自身の自己愛の強い楽天家であるという特性のみだけが、社会生活の中では役に立った。その特性は、仕事や友人関係の上で一定の効果を発揮した。その特性によって、明るく振る舞うことが出来たからだ。しかし、それでも近しい人を騙すことはできなかった。結局のところ、最後まで傍にいてくれた人を傷つけ、なにもかもを途中のままで投げ出し、僕は日本を逃げ出した。外国という環境が自分を変えてくれるのではないか、と期待もしていた。しかし、その淡い期待は生活の何一つも変えることはなく、ただ日々が過ぎていく。
ブラジル人の兄弟が部屋を後にした後、僕は手荷物を解き始めた。ゲストハウスでは食事が支給されることはないから、毎回の食事は自分で用意する必要がある。バックパックから、財布と25本入の煙草とコンパクト・デジカメを取り出し、ポケットに押し込む。この街についての情報が少ない中、貴重品を持ち歩くのは得策ではない。僕は、パスポートをシーツの裏に隠しておいた。あの兄弟が人のベッドを漁ってまで金品を取ることはないだろう、と判断した。年代物のエレベーターでロビーに降り、しばらく外出することを伝えた。フロントは22時までは開いている、よれよれの制服を着たホテルマンはそう言った。日没が近づいた今も、サーファーズパラダイスの目抜き通りは多くの人々でにぎわっていた。人々の大半が、水着に上着を羽織っているだけ、という出立ちだった。この先は海岸というところまで歩いてみたが、スーパーマーケットは見当たらない。メインストリートから一本後ろに入ると、小さな商店がいくつか見つかった。古くからありそうな食料品店で、乾燥パスタとトマト缶、小瓶入りのインスタントコーヒーを買う。ここ最近の食事メニューは同じものに固定していた。トマトなどの缶詰は一度では食べきれないので大抵、二回か三回は同じものを食べることになった。味付けには、塩胡椒と携帯に便利な粉チーズを持っているので、それを使う。自分一人だからこれで良いと思う。けれど、すごく寂しい食事だとも思う。商店の前で煙草に火をつけた。一人で過ごす時間が長いから、普段から、さまざまな考えが浮かんでは消えていく。頭の中ではおしゃべりな自分に対して閉口した。煙草の煙が肺に行き渡る。それは、脳内の解像度を落としていき、頭の働きを鈍らせた。おしゃべりな自分も静かになる。この地域は観光客向けの洒落た店が多く並ぶ通りだった。僕は空腹を満たすために手頃なカフェに入り、フィッシュアンドチップスとビールを注文した。路地に面するテーブルに着き、浮足だっている観光地の夜を見物した。アルコールが回り始めると、この街の風景の一部に自分が溶けていくような錯覚に陥った。ゴールドコーストの季節は春だった。春特有のざわめきと、漠然とした望みが心を明るくした。時々、走っても走っても前に進まない夢を見る。いやな汗をかき目覚めも悪い。いつまでもこの生活を続けるわけにはいかない。必ず日本へ帰る時が来る。自分を縛っている何かについて、折り合いをつけなくてはいけない。いつでも、まだ足りぬ、まだ足りぬ、と誰かに小突かれている気持ちだった。つまり、頭の中での理解と現実とのギャップが大きいのだ。海からの強い風が吹き、地面に置いた買い物袋が揺れる。その風は時間は不可逆であることを思い出させた。結局、ホテルに戻ってきたのは22時前だったが、フロントはすでに鍵が掛かっていた。おかげで僕は他の入口を探す羽目になった。ガラス張りの建物沿いに歩いていくと、駐車場の方向へ繋がっていた。そして、時間外の出入り口として使われている関係者専用の勝手口と、暗闇の中に横たわっている人影を見つけた。近づいてみると、それはブラジル人兄弟の弟だった。
「おい、酔っ払ってるのか?」駆け寄って声をかけた。近づいてみるとブラジル人兄弟の弟テオは、口から血を流している。返事がはっきりしない。「あんた一人なのか?ミゲルはどうした?」起き上がるように、肩を貸す。相手が僕だとわかると、テオは肩に腕を回してきた。吐く息から酒の匂いがする。「兄ちゃんは、ミゲルはここには居ない」とにかく部屋へ戻ったほうがいいだろう。状況が飲み込めないまま、エレベーターホールへと向かう。ホテルのロビーには、どこからか聞こえてくる無機質なモーター音があるばかりで、静けさが広がっていた。エレベーターの中でも、テオは何も話そうとしなかった。部屋へ入った途端、テオは自分のベッドに横になり、静かに寝息を立て始める。テオの傷が気にならないこともなかったが、大したこともなさそうなので放っておいた。僕はその日、明け方近くまでスコッチを飲んで起きていたが、ついにミゲルが帰ってくることはなかった。翌朝、暑くて目が覚める。時計は正午近くになっていた。テオとミゲルの二人は既に部屋におらず、外出しているようだった。グウッと腹が鳴る。昨日買ったパスタを茹でるために、共同のキッチンへと向かう。何組かのバックパッカーが調理をしていて、それなりに混雑していた。三口のコンロのうちひとつが開き、そこで水を張った鍋を火にかけた。食堂には誰かが置いていった皿が何枚かあり、それを借りた。トマト缶を開け、茹でたスパゲッティを和える。上から粉チーズを掛ければ出来上がりだ。部屋へ持って上がるのも面倒だったので、キッチンで食べてしまうことにした。昨晩から読んでいる小説の続きが気になっていた。部屋のクーラーは効きが悪い。本を持ったまま、うろうろしていると室内プールを見つけた。中を覗くと、プールサイドに小さなバーカウンターがある。僕は、ここで本を読むことにした。ワン・パイントグラスのビールを注文し、できる限り少しずつ口に運んだ。何のために外国で生活をしているのか、自分で選んだ進路ながら、晶馬はいまだに目的を見つけられないでいた。バーカウンターに一枚の絵があった。画家の名前は知らないけれど、街角のカフェを描いたとても有名な絵だった。この絵の中で僕が存在するとすればどの役割になるのだろう。店の中か、あるいは店外か。いや。そもそも、画面の中に登場することすら、出来ないのかもしれない。外国のイメージなど、絵画で見るそれと同じだった。この外国生活の目的とは一体なんだろう。観光をして、楽しい思い出をつくるため?外国で生活をしていたという経験を作るため?いいや、どれも違う。そんなことを行動の軸に据え置くことには強い抵抗があった。オーストラリアに来て数ヶ月が経つというのに、晶馬は落ち着くところを見つけられないでいた。ビールは苦いが、後になれば甘い陶酔を運んでくれる。そんな結果を晶馬は願った。せめて、この経験が自分を強くするものになってほしい。世の中には色彩が溢れている。それらは日常の中にある。美しい出来事も、苦しく辛いことも、どこに属するべきなのかわからないことも、すべては色に置き換えてみることができると思うようになっていた。煙草に火をつけようと、視線を上げると隣に座っている人と目があった。
「君、日本人だよね。ここには観光で来てるの?」突然、日本語で話しかけられたことに面食らう。
「あ、はい。ワーキングホリデーのビザで滞在しています。数日滞在したら、北上するつもりでいます。」晶馬は答える。「そうなんだ。どうりで見ない顔だよね。この時期、日本人の観光客は少ないから気になってたんだ。」にこにこと、笑顔で話をする人だった。名前を竜崎だと名乗った。外見だけで判断すると、彼はすでに30歳を超えているようにも見える。彼は、ゴールドコーストに拠点を置いて、もう半年以上が経つと言っていた。空になったグラスに気づいたのか、二人分のビールが届けられた。竜崎は、支払いは持たなくていい、と言う。乾杯をして、シドニーからゴールドコーストへ移動してきたことなどを話す。僕は久しぶりに人と話していることに気分が高揚していた。そして、何よりも母国語で話をすることの心地よさを噛み締めていた。竜崎は驚くべき聞き上手だった。幾度かビールグラスが空になり、僕たちは世間話に花が咲いた。「あ、そうだ。」と、僕がATMでの1,500ドル紛失事件のことを話すと、興味を持って聞いていた。そりゃあそうだ。あんな馬鹿な真似をする奴はなかなかいない。自虐的に笑いながら僕は続けた。「あの一件以来、銀行が信用できなくって。」その瞬間、竜崎の目の色が変わった。特に、失った金の半分以上を、元に戻したことについて、興味深く、追求してきた。最終的に、僕は竜崎に現在いくらの額を所有しているか(実際、僕は多額の現金を持ち歩いていた)、洗いざらいを話していたのだった。
竜崎とは、翌日の夕食を一緒過ごす約束をし、その晩は別れた。彼は、ゴールドコーストに関する情報(人気のある飲食店や、郵便局の場所。それから不動産情報)についてよく知っていたし、なによりも市内での働き口を紹介する気がありそうだった。仕事の内容は「簡単」らしい。請け負っている品物を、徒歩やバスで配達することらしかった。(詳しい内容は明日の夕食の時に)ロビーを過ぎ、エレベーターに乗る。フロントに宿泊延長を申し出ておけばよかったかな。と思うものの後回しにする。カギを回し、部屋に入る。同居人のミゲルとテオが部屋にいた。なんだか久しぶりだなと思う。僕は浮かれているのに、この兄弟ときたらなんだか鬱屈としている。「よう。調子はどうだい?」と茶化してみる。空振りだった。まったくいい返事がない。僕は、自分のベッドに入り、本を開いた。今日は竜崎と話していて、結局のところ、ほとんど読んでいないことを思い出した。文章を読もうとするが、文字情報としてしか入ってこない。きっと今日の出来事に興奮し、なかなか本に入り込めないのだろう。ようやくペースを掴み、文脈に追いついた時だった。ミゲルが、躊躇(ためら)いがちに「おい。ちょっといいか?」と声をかけてくる。僕は少々苛立ち、ぶっきらぼうに「なんだ?」と言う。「晶馬、お前今日、バーで竜崎と居たか?知り合いが見たって言っててな」
「ああ。居たよ。声をかけてもらったんだ。いい人だよね。たくさんのビールをご馳走になったよ」
「昨日、初めて会ったのか」テオが口を挟む。
「昨日?いや、今日初めて会ったんだよ。君たちは知り合いなのか?」ミゲルは、下を向いていて表情はわからない。うつむいたままこう言った。「俺たちは、竜崎に借りがあるんだよ」テオは、何かを思い出して、怯えたような目をしていた。
ミゲルは、竜崎と出会った時のことを話し始めた。ひと月前にゲストハウスのバーで声をかけられたという。(僕と同じだ)ミゲルとテオは、ゴールドコーストのカジノで大負けをした。損失額は数千ドル。自棄になって酒を飲んでいた時に、竜崎に出会う。彼に「簡単な仕事」を紹介すると言われて請け負ったのが「ハーブの配達人」だった。仕事はじめの時に、二人は竜崎からUSBフラッシュメモリの配達だと言われたという。実際に、封筒の中には、USBフラッシュメモリが入っていた。彼らは、竜崎にいわれるがまま、一日20件ほどの配達を行った。一日当たりの報酬は、200ドル以上の日もあった。あるとき、封筒からUSBフラッシュメモリが転げ落ちた。それを拾うと、カバーが取れていて、中にはハーブが入っていた。二人は、竜崎に詰問したという。「いったいどうして、俺たちにこんなものを運ばせたんだ!」ミゲルは激昂していた。それに対して竜崎は薄ら笑いを浮かべて、こう言った。「金が欲しかったんだろう?気にせずに続ければいい」彼の笑顔は冷徹な印象だった。その一件依頼、二人は「運び屋」をやめた。しかし、ミゲルは竜崎から3000ドルを超える現金を借りていた。それは、カジノの負けで作ってしまった借金の返済に充てるものだという。竜崎は、新たな運び屋を必要としていた。そして、晶馬と出会うのだった。
一部始終を聞かされた僕は、背中に汗をかいていた。甘い話には、裏があるのだ。このブラジル人兄弟の二人はいい奴らだった。竜崎とは、まだ詳細について話をしていない。明日の晩に約束をしている食事の席で話せば良い。「テオ、さっき、竜崎にあったのは今日が初めてじゃないだろう?と訊いたよな。あれはどういう意味だ」テオは、口元を手で触ってから、「昨日の晩、俺は二人の日本人に殴られた。ちょうど、夜にゲストハウスに戻ってきた時だった。フロントの入口が閉まっていただろう?それで俺は駐車場の方へ回ったんだよ。勝手口があることを知っていたからな。そうしたら暗闇の中で背後から襲われた。意識を失いそうになっている時、聞こえてきたのが、複数人で会話している声。それが日本語だったんだ」
ミゲルとテオが、竜崎に好ましく思われていないことは明らかだった。明日、竜崎に会う約束がある。仕事内容を聞きながら、仲間の情報を引き出せないものか。こちらの思惑通りに竜崎が例の仕事について話してくるならば、糸口がつかめるかもしれない。竜崎に仲間がいることが確認できれば、テオを襲ったのは竜崎とその仲間である可能性が高い。ミゲルたちが借りた金は、彼らが竜崎に返すべきものだ。それにしても、集団で背後から襲うなんて卑怯なやり方は許せない。僕は竜崎からどうやって情報を引き出しそうかと考えた。僕が、ミゲルとテオと同じ部屋に宿を取っていることを彼は知っているだろうか?彼はそれを知っていて、僕に近づいた?分からない。僕はうなりつつ、ベッドで寝返りを打った。すると、シーツの下に入れていたものの存在を思い出す。それは、僕が念のために隠しておいたパスポートだった。それを見て一つの案を思いついた。
翌日、僕は竜崎と約束通りレストランで落ち合った。その店はサーファーズパラダイスのメイン通りにある、地元民に人気のカジュアルな雰囲気のビストロだった。僕たちは、案内された席に着く。そこは外気が入るように大開口窓が開け放たれた、通り沿いに面したテーブルだった。まずはビールで乾杯をし、緊張を解いた。竜崎は僕に食事を勧めた。メインディッシュは、グレービーソースがたっぷりかかった、顔の大きさほどもあるTボーンステーキだった。僕はなんとか胃袋に押し込み、エスプレッソを注文した。竜崎は長い前髪を耳にかけ、おいしそうにバニラアイスを食べている。「さて、」腹が落ち着いたところで、竜崎は話を切り出した。「晶馬はどのくらい、ゴールドコーストに滞在するつもりなのかな?」僕は答える。「ここは気候もいいし、長居したいと思うよ。竜崎さんという、素敵な人にも出会えたしね。ただ、滞在するには少し資金が心細いな」竜崎は、いつものようにニコニコしながら聞いている。「竜崎さん、仕事の相談なんだけどさ」アイスクリームのスプーンを丁寧に舐め終えた竜崎が指を組み、僕を直視する。「その件なんだけどね、」一息つく。「晶馬。君、散歩は好きかな?」
僕たちは、夜の海岸沿いを歩きながら話をつづけた。メイン通りから少し離れると、宿泊施設が立ち並ぶエリアに入る。この辺りまで来ると人通りも少ない。竜崎は気分がいいのか、周りを気にする様子もなく、大きな声で話し続ける。彼が話している言語が日本語で、ここに居るほとんどの人間が理解できないだろうという安心感がそうさせているのかもしれない。とにかく、竜崎はこちらの思惑通り「運び屋」の仕事を僕に紹介してきた。内容はこうだった。ゴールドコースト市内に点在するお得意様に、あるものを運んでほしい。それは、USBフラッシュメモリである。その中には少量のハーブが入っている。(ここまでは、ミゲルに聞いていた話と同じだ)彼に怪しまれないように僕は戸惑う演技をした。今、ミゲルたちと繋がっていることを自白する必要はない。「それって大丈夫なの?今までに捕まった人はいない?」僕は訊く。竜崎は、大丈夫、大丈夫と言う。「君に行ってもらう顧客は、中でも上客揃いだからね。あ、もちろん、慣れるまでしっかりフォローするよ」提示された報酬額は、一件の配達で15ドル~20ドルくらい。中には、一件50ドルほどになる配達も存在するという条件だった。実際に話に乗るには危険だと思った。しかし、ブラジル人兄弟のことを考えると、どうにかしたいとも思う。乗るべきか反るべきか。「まあ、すぐに決めなくてもいいよ。うちに来て飲み直さないかい?」竜崎が言った。
竜崎の部屋は、そこから歩いてすぐのアパートメントの一室だった。部屋に入ると、長期滞在者が持っている特有の生活臭がした。紙袋に一杯入ったビールの空き缶が床に転がり、脱ぎ捨てらた服が部屋の隅に小山を作っている。大皿に食べかけのまま放置されたシリアルには大きな蠅が止まっていた。そうかと思えば、マグカップやコップはきれいに洗ってあり、整然と並んでいる。ベッドは二つあり、一つは使っていないようだった。使っているほうのベッドサイドは整頓されている。ちぐはぐな印象を受けた。竜崎は「一杯やろう」と言って冷蔵庫からビールとチョコバーを取り出す。彼は、煙草ではないものに火をつけ、深く吸い込んだ。陶酔した顔をしている。僕にも進めてきたが、やんわりと断った。本棚には、日本人作家の文庫本が置いてある。「この部屋に移り住んだのは2か月前くらい。それまではゲストハウスにいたんだ。長く住むなら家賃を払うほうが割安になるからね。それに、ここはシェアハウスだし」竜崎はいう。「じゃあ、ルームメイトが?」「うん、居るよ。ちょうど君が座っているそのベッドが彼の場所だ。しばらく顔を見ていなかったけれど、どうやら僕が出かけている間に戻ってきてたみたいだね。ほら、床に洗濯物が積んである」そう言って笑う。僕はそれを聞いて納得した。この部屋から、ちぐはぐな印象を受けたのはそういう理由だった。今、話の流れが来ている。テオが襲撃された一件について聞き出すチャンスだ。「その、彼は日本人なの?」 「そうだよ。ゴールドコーストで出会ったんだ。彼も僕と同じ仕事をしている」 「是非とも会ってみたいな」 「もちろん、いいとも。どこに居るのか訊いてみよう」竜崎はそう言って電話を掛けた。 10分ほど経つと、玄関ドアが開き、大男が現れた。「よう、君が斉藤晶馬か」彼は高橋だと名乗った。彼の身長は180㎝以上ありそうである。よろしくと、言うと彼はそそくさとテレビをつけた。バラエティー番組でクイズをやっている。高橋は、司会者のコメントにクックックと声を出して笑っていた。「彼は無類のクイズ番組好きでね」竜崎が言う。「それで、あんたも運び屋をやるのか?」高橋は、テレビから目を離さずに言った。僕はそれには答えずに、こう言った。「実は、聞いてほしいことがあるんだ。あるブラジル人兄弟のことだ」
僕はミゲルのパスポートを取り出した。「この男を見たことはあるか?じつは、彼に金を貸しているけれど返ってきていない」僕は話をでっち上げた。「なぜ、あんたがそれを持っている?」高橋が言う。「僕はゲストハウスの同居人なんだよ。たまたまだけどね。この兄弟は数日後にはブラジルへ帰るらしい。貸した金もあるし、彼らが帰ってしまう前になんとかしたい。このパスポートは、彼らが荷造り中のところをこっそり持ち出してきた」実際は、ミゲルと話し合っていて、芝居の小道具のために借りて来ていた。竜崎に鎌をかけて情報を引っ張り出すためだった。竜崎が口を開く。「ああ、ミゲルじゃないか。奇遇だな、僕も彼に金を貸している。それで、どうしたいのかな?」まんまと乗ってきた。僕はすかさず言った。「まずはこの男を懲らしめたい。なにか方法はないか?金の回収はその後で考えよう」高橋が拳をさすりながらニヤリとした。実は、ゲストハウスのフロント係も組織につながっていた。以前、テオが襲われた晩に、早めに玄関を施錠したのは彼だったのだ。今回もその方法を使って、ミゲルを襲う。というのが彼らの作戦だった。僕は、同居人であることを利用してテオを連れ出し、ミゲルを一人にさせる役回りだ。作戦の実行は明日の夜となった。
僕はゲストハウスに戻り、ミゲルとテオにすべてを話した。テオを襲ったのは、高橋で間違いないだろう。高橋は今度はミゲルを襲うだろう。ミゲルに不要な怪我をさせたくはない。ミゲルにはスポーツ用品店へ行ってもらい、防御のためのインナー保護具を購入してきてもらうことにした。テオと僕は、奇襲のためにアジア雑貨店へ赴いた。先日のテオの事件について、二人が関与していることを証拠として押さえることが目的だった。
僕とテオは、予定通り宿泊先から外に出た。ミゲルを一人にして、竜崎の計画通りに進んでいるかのように装う。ミゲルを一人で外出させ、21時を過ぎたあたりでゲストハウスに帰ってきてもらう。ホテルのフロントマンは、早めにメインエントランスの鍵をかけた。21時ごろ、テオと僕は、こっそりゲストハウスの駐車場に戻り、その時を待っていた。ミゲルが、帰宅する。ミゲルはメインエントランスは締まっていることを確認し、従業員通用口のほうへと向かう。僕たちに、緊張が走る。物陰から、竜崎と高橋が近づいてくる。予定通り、高橋がミゲルを襲おうとする。その瞬間、僕は物陰から飛び出した。カメラのフラッシュを強烈に発光させ、驚いた高橋の顔を写真に写す。暗闇から発光しているから、逆光でこちらの顔は見えていないはずだ。と同時に、爆竹にテオが火をつける(中国雑貨店で購入した本物の爆竹だ)。高橋と竜崎は驚き、一目散に逃げていった。証拠も押さえた。してやったりだ。二人の姿が見えなくなると、僕たちは、腹を抱えて笑った。子供の悪戯にしてはやりすぎかもしれないけれど、竜崎たちがしたテオへの暴行を考えると、優しい仕打ちだろう。その後、しばらく置いて、僕は竜崎の家に行った。僕が「うまくやってくれたか?」と訊きに行くと、何が何だかわからない、と言った感じで二人は取り乱していた。事態に困惑し、憤ってもいた。僕は、「ブラジル人兄弟の後ろには、誰か組織が付いているのではないか?」と二人を煽っておいた。関わらないほうが良いのかもしれないよ、とも言っておいた。ミゲルたちの竜崎への借金額は、全部で2,000ドル。僕は、ミゲルに自分の所持金から全額を渡した。二人は必ず返すと約束した。翌日、ミゲルから竜崎に会いに行かせ、借金は返済されたのだ。
僕は竜崎に会い、「運び屋」の仕事は受けない、と伝えた。危ない橋を渡るのはやめておくよ、と言うと、竜崎は、分かった、と言った。ミゲルとテオのブラジル人兄弟はゲストハウスをチェックアウトし、無事に母国へと帰っていった。良くも悪くも、思い出に残るオーストラリア旅行だっただろう。竜崎とは最後にランチを共にした。僕が、なにかまともな仕事は無いかな?と訊くと、竜崎はブリスベンならなにかあるかも知れないね、と言った。あるいは、バンダバーグで農場作業をするか、という話になった。ミゲルに貸した2,000ドルを差し引き、ゲストハウスをチェックアウトすると、僕の所持金は100ドルと少しになっていた。まずはブリスベンで仕事を探すことにした。セントラル駅に行き、北上する列車に乗り込む。さようなら、ゴールドコースト。ここでの物語もまた、「良くなかった」よ。
物語は、ブリスベン行きの車窓に戻る。彼は、くたびれた財布を丁寧に鞄に仕舞う。そして、ペンを走らせる。彼のノートには、こう書いてあった。『僕は物事から最大限に絶望してみたかった。そして、僕は物事から最大限の恩恵を受けてみたい』それは、22歳の斎藤晶馬にとって、抽象的すぎるテーマであるものの、彼の心の奥にはまだ消えていない希望があることを物語っているようだ。瞬間瞬間を全身で向き合い、感じたいと、そう思っているようだ。まだ、彼は絶望していない。車窓から見えるものは、速度に追いつけず流れていく木々の緑だ。遠くには象徴的に建つ、ブリスベンの高層ビルが見える。海の青は、大きすぎて絵画のように静止している。斎藤晶馬は自分は異邦人であると、再確認した。列車の連続的な振動が眠気が誘う。彼は夢を見た。女の子の夢だ。出会ったことのない雰囲気を持つ人だった。澄んだ目は青で、一見、押し黙っているように見える。しかし、覗き込むと感情が渦巻いて赤く光っている。彼女もまた、世界に対峙しているのだった。世界に対して、自分を開き、受け止めている。自らは傷つき、世界には優しく微笑んでいる。彼女の手が印象的だった。軽く結ばれた手は、無邪気な遊び心を表していて、しかし、その形は端正な大人の女性であった。一体この人は誰か?僕の理想が作り上げた人?彼女は何を象徴している?彼女が微笑みを見せたときに、列車はブリスベンに入り、停車した。斎藤晶馬は夢から覚めた。
「次の街では真っ当に生活しなくちゃ」そう思いながら、晶馬は列車を降りた。最低限の荷物が入ったバックパックを背負い、ギターケースを抱えて降りる。忙しそうに歩く人々。駅構内の人混みはゴールドコーストの比ではなかった。晶馬は、人酔いしそうになる。目と鼻の先には高層のオフィスビル群が見える。多くのビジネスマンがいる中で、自分は異質な存在のように思えた。晶馬は見慣れたものを求めるように駅構内にあるハングリージャックスに入った。気さくな安心感が欲しい。安っぽさが、自分の範囲内に収まるものに囲まれた。それが欲しい。(Hungry Jack’s:バーガーキングのオーストラリア商標名。シンボルキャラクターはシンプソンズ。店員はインド系の人が多い。)バーガーショップで食事をとりつつ、今夜の宿を探すためにガイドブックを開く。ドミトリーで可能な限り安い宿。仕事探しが容易なように、繁華街に歩いて行ける場所を条件に、二つ、三つのゲストハウスに目星をつけた。そこは、セントラル駅からバスを下車5分と書いてある。駅から出ている路線バスに乗ることも出来たが、街の様子を見るために歩いてみることにした。ブリスベンのメイン通りを歩いていく。いくつかの大きな交差点を渡った。オーストラリア第二の都市といわれるだけあって、ブリスベンは大都会だった。圧倒される。全てにおいて場違いの感じがした。晶馬はブリスベンに来たことを早くも後悔し始めていた。おおきなモールがいくつもあり、個人経営のレコード店や、大きな楽器店があることもわかった。購入することは出来ないが、見物するだけなら金はかからない。初めての街、というのはそれだけでワクワクする。この街角の先にはどんな風景があるのか。知らないということは、未知数を含んでいる。知らないということは、存在しないということでもある。このショップの角を曲がって目に入ってくる現実の世界が、自分の創造力が瞬間に生み出し、具現化したものであるはずがない、と一体誰が証明できるというのだろう?そのようなことを晶馬は考えている。彼は頻繁に現実の中で夢想した。晶馬はムズムズと武者震いをした。このまま前に進んでみよう。思うところへ行ってみよう。大きな交差点をいくつ過ぎただろうか。セントラル駅から30分も歩いただろうか。目指すゲストハウスは本当にこっちなのか?不安になってくる。体が汗ばむ。季節はそろそろ春となる。
晶馬は緩やかだが果てしなく長い(疲れた彼には十分にそのように感じられた)坂道を登り切り、だんだんと街はずれのように思えてきたころに、ようやくそのゲストハウスを見つけた。バックパックからガイドブックを取り出し、記事に掲載されている写真と見比べてみる。間違いない、ここだ。安心感を感じ、一服をする。入店の時間をずらす。ゲストハウスのフロントにいた女性店員に声をかける。こんにちは、ドミトリーを二泊か三泊、お願いしたいのだけれど。と伝える。店員は「こんにちは!それじゃあ予約番号を見せてくださいね」と愛想よく対応してくれる。晶馬は、予約は取っていないんだけど、泊まれないかな。と訊くと、店員は(可愛い顔を)困り顔にして、悪いけれど、今夜、部屋は空いていないのよ。少なくとも今週いっぱい部屋の空きはでないと思うわ、と言う。それを聞いて彼は落胆した。おいおい、せっかくここまで歩いてきたのに。くそ、なんでだよ。と心の中で悪態をついた。ゲストハウスから出た彼は、また煙草に火をつけた。今度の一服は心底不味く感じる。少しも吸わない間に煙草を靴底でもみ消した。仕方ない、他に目星をつけていたゲストハウスへ向かう事にする。汗ばむ背中にまたバックパックを背負い直した。手に持っているギターケースが重く感じ、何度も持ち替えた。
ギターは、自分の存在を確認するための布石のようなものだった。日本を出発する三ヶ月前に大阪で購入したばかりのギターだった。僕は日本でバンドをしていた。売れないローカルなロックバンド。見栄と、虚勢と、自分なら何かを成せるという思い込みと、自己保身。そんな音楽は、誰も聴きたがらなかった。その現実を認めたくなくて、僕は社会に出ることを拒んだ。他人を理解しようと努力もせず、自分を知って欲しいと願った。孤独は自己保身を温める毛布となり、虚勢という棘棘した巣を作った。勝手に踏み込んできた誰かに、再生不能なくらいぶち壊して欲しいと願ってみるものの、その誰かとなり得る人が現れると僕は尻尾を巻いて逃げた。逃げた後の孤独感は、救いようのないくらいの孤独だった。僕はその一連の現象を美化した。物事を抽象的にし、表現として価値を感じるものだけを音楽にした。それはフィルターを通り抜けた綺麗なものだけが音楽となった。音楽を作ってしまうと後には、凝りだけが残った。その凝りは溶けて消える術を持たず、自分自身を苦しめた。
次のゲストハウスは町の中心に位置している。先のゲストハウスよりも1日の宿泊料が3~4ドル高い。あとで行こうと思っていたレコードショップや楽器店を横目に見つつ、来た道を戻った。次に目星をつけているゲストハウスに向かうためにブリスベン市内を歩いていた。歩いている場所が目抜き通りのため、たくさんの店が並んでいる。都会的な中にいくつか個人商店のような店があるのが面白い。数軒、インターネットカフェを見つけた。全財産が手持ちの$100ドル少々であることを考えると、すぐにでも仕事を探さなければいけない。金が尽きる。見知らぬ街の中で情報が乏しい。情報がないことは、文字通りの死を意味する。ガラス越しの店内は混雑しているようだが、空きがないと言うわけではなさそうだ。店の前のボードには、1時間の利用料金は$3となっている。次にいつインターネット環境に出会えるかはわからないことを考慮して、入店することにする。受付カウンターで「1時間」と告げ、先払いの料金を支払った。店員から、利用する座席を示すカード(プリントをラミネートしただけのもの)と、60分を表示しているストップウォッチを手渡された。改めて店内を見渡し、座席についた。PCと間仕切りの板が立ち並んでいる狭い店内。背中合わせの座席なものだから、狭いところで幅は50cmほどしかなかった。店員にギターを預かろうか?と訊かれたが断った。(ブリスベン行きのグレイハウンドに乗った時に預けたら、奥の方に放り投げられた経験があったからだ。気をつけてくれよ!というと運転手はすごく嫌な顔をした)狭い店内で、やたらに主張するギターケースを抱えるようにして持ち上げ、今度は照明に当たらないように高さにも配慮しながら指定された席へ向かう。席に着いた時には、変な汗をかいていた。ギターを股に挟むような格好で席についた。両隣の利用客はそれぞれヘッドセットを付けており、画面に向かって熱心に話をしていた。あちらこちらから、英語以外の言語が飛び交っている。イタリア語、韓国語、ヒンディー語、フランス語。他にもあったかもしれないが判別できない。少なくとも僕にはどれも理解ができない言葉であることは明白だった。ということは、たとえば大声で、日本語の卑猥な言葉を発しても、誰にも伝わることはないだろう。などと、思い当たったが、止めておいた。(2007年当時は、いまほどスマートフォンが普及しておらず、海外との通話はもっぱらPCを使ったSkypeが主流だった。モバイル端末では、NOKIA、Motorolaが主流。なお、オーストラリアでは初代iPhoneは未発売であり、スマートフォンでは、ブラックベリーが王者の時代である)気を取り直して、ストップウォッチをスタートさせた。ブラウザーを立ち上げ、日本語で「ブリスベン 仕事 ワーホリ」と検索する。日本人のワーキングホリデー向けのポータルにつながる。ここでは、オンラインで住居と仕事を探すことができる。また、実店舗も存在していて都市であれば大抵、日本人向けのエージェントがあり、そこで日本人担当者と直に相談をすることもできる。シェアハウス含めた賃貸情報も扱っており、ハローワークと不動産屋が合体したようなものだ。僕は、求人を見ながらなんとなく乗馬クラブの募集に目を付けた。その農場の場所は、ブリスベンとゴールドコーストの中間で、内陸のほうへ向かうみたいだ。公共機関で行くならバスしかない。ここなら家と仕事が一度に手に入る好条件だ。今夜の宿が決まったら、ブリスベンで一泊し、明日発とう。利用枠の1時間にはまだ早かったが、僕はインターネットカフェを出た。陽が沈む前に今日の寝床を確保しておきたい。僕は、ゲストハウスを目指して歩き始めた。
晶馬は、目星にしていたゲストハウスに到着する。そのゲストハウスは、ブリスベン市街地の中心に位置しており、高いビルとビルの間に挟まれるようにして建っている長細い4階建ての建物だった。壁面にはまとまった苔とツタが生えており、ガイドブックの写真で見るよりもやや古びて見えた。彼は、背中はもちろん、額にも汗をぐっしょりかいている。いますぐにシャワーを浴びて横になりたいと考えていた。フロントは2階へ、という案内が目に入る。フロントにたどり着いた彼は、「宿泊はできますか?予約は取っていないのだけれど」と伝える。フロントのスタッフが、部屋のタイプに希望はあるか、と訊く。ドミトリーで、と伝えるとスタッフがパソコンを検索し始めた。わずか一分足らずだったろうが、この待ち時間はとても長く感じられた。彼は、判決を待つ非力な民のようにスタッフを見つめている。しばらくパソコンを見つめていたスタッフの目が彼に向き直した。「すみませんが、空きはありません。明後日までいっぱいです」彼は再度、落胆する。たいてい事前の予約なしで泊まれることが多かった。今日に限って宿が取れないことには、何か理由があるのだろうか?「今のシーズンは、ちょうど学生たちの休みの時期なんですよ。だから、どこも空きはないと思います」その言葉通り、近くにあったYMCAも宿泊は取れなかった(スイートルームを除いて)。後で調べて分かったのだが、オーストラリアは4学期制で、各学期の間に2~3週間の休みがある。この時は、ちょうどその時期に当たっていたのだった。くたびれた彼は、今夜ベッドで眠ることをあきらめた。すでに、街には夕方の雰囲気が広がってきている。いくら日中が暖かいとはいえ、夜はまだ寒い。雨が降る可能性だって十分にあるし、できるなら野宿は避けたい。どこか、公共施設で夜を過ごそう、と考えた。そして彼は、空港を思いつく。空港なら、24時間空いているのではないだろうか?ガイドブックを開き、空港の場所を確認するとすこし街はずれにあるようだった。その距離は歩けそうになかったので、バスでブリスベン国際空港へ向かった。時間帯のせいなのか乗客もまばらだ。車窓から見る景色が閑散としていく。ブリスベン空港へ到着するころには、あたりはすでに夜の気配になっていた。日中の暑さとは反対に、肌寒さを感じる。空港ターミナルの入り口近くにあるミートパイのキッチンカーも、すでに店じまいを始めている。なにか食べ物が欲しい。僕は空腹を感じるが、辺りは芝生が整備されているだけの殺風景な場所だった。店を探してしばらく歩いた。すこし進んだ所に古いパブがあった。店内に入ると人は少なく、照明は暗かった。そこはオーストラリアにはよくある雰囲気のパブだった。オーク材で作られたロココ調の英国アンティーク家具が、店の色調をより暗くさせ、ずうっと昔からそこにあるように店を重厚なものにしていた。進んでいくと大きな扉の向こうにポーキー場(スロット賭博)も見えた。僕はカウンターで、フィッシュアンドチップスと1パイントのエールビールを注文した。バックパックとギターケースを肩から下ろす。ふうっと息を吐く。ようやく一息つけそうだ。カウンターでビールを受けとり、二人用テーブルに腰を落ち着けた。金色の飲み物が喉を通っていく。乾きを癒し、緊張をほぐしてくれる。店内をあらためて見渡すと、二、三組の客がいる。カウンターには、四十代くらいの二人組の男性客。それから、離れたところに一人で座っている初老の女性。テーブル席には、若い男女がくっ付き合って座っていた。注文していたフィッシュアンドチップスが届く。暴力的なほどのポテトの量。夢中で食べた。今日は宿探しに明け暮れたので、まともに食事を取れていなかった。塩味が嬉しい。おにぎりが恋しく感じた。ふと手元にあるギターに目をやる。旅の荷物になることは分かっていたが、どうしても置いてくる気になれなかったのだ。時刻はすでに20時を回り、あたりはすでに真っ暗になっている。店が混雑してきたので居づらくなり、店を出た。今夜の宿泊地、ブリスベン空港へ向かった。空港に戻ると、思っていたよりも人はまばらだった。僕はさほど気にもとめず、夜を過ごせそうな場所を探す。少しでも快適に眠れそうな場所。出港の待合ロビーがすぐに浮かんだ。歩きながら、考える。椅子がソファであれば尚ありがたいのだがどうだろうか。構内マップを確認し、二階に上がった。広々とした待合ロビーがあった。プラスチックの椅子が連結して配置されているタイプのもので、数百人が座るスペースがある。球場のスタンドのようだった。待合客はほとんどいない。期待したようなソファではなかったものの、ここなら外の寒さも凌ぐことができるし、そこそこ快適に過ごせそうだった。警備員も巡回しているし、安全面の不安も軽減されている。肩から、バックアップを降ろす。スーツケースはシドニーで手放してしまっていた。実際にはそんなに荷物もなかったのでバックパックで十分だったのだ。タオル数枚、Tシャツ、替えの下着、パスポートに貴重品、それからノートとペン。iPod。文庫本を二冊。旅の基本グッズといえば、せいぜい、こういうものだった。僕の手荷物が少ないのは理由がある。オーストラリアに来てから買ったCDや本、それから親しく人々からもらった手紙や私物は、冬の洋服と一緒に日本へ送ってしまっていた。これまでにも数回、そんなふうに日本へ発送している。それらを手元に置いておけるなら、もちろんそうしたい。けれど、1か所に長く定住せず、頻繁に移動することを前提としている僕のようなバックパッカーには不向きな選択だ。物は、思い出を含んでいる。それらは記憶のトリガーとして働くこともある。ひと月ふた月、同じ拠点で生活していると、嫌でも顔なじみができる。そして、別の場所へ移動をすることになれば、別れがある。どれだけ親しくなった人々であっても、一時的な関わりしか持つことは出来ない。必ずやってくる別れがあるからと言って、ローカルでの関りを薄めようとは考えたくはない。けれど、僕はやっぱり感傷的になりやすいから、儀式として、思い出は日本へ送っておく。「さようなら」の後に、国をまたいで交流し続けることは、ほとんどないだろう。だから、もう二度と会うことのない別れだと言える。(相手がとても若かったとしても、よほどの縁が僕たちになければ、もう会うことはないだろう)彼らから、別れの度に手紙や写真をもらう。思い出が増える。彼らは優しいから、「どこへも行くな」と引き留める。それはとても嬉しいが、とてもつらい言葉だ。だから、僕は思い出の品を梱包して、国際便で日本へ送った。その土地、その人々に慣れ親しんだ頃が、もっとも別れに適した時期である。それが自分の身軽さを保つ秘訣だと考えた。
同じ場所へ留まっていたい時、身近な人に囲まれて安らぐ時、変化が怖いと思う時、僕は、僕自身に問おう。僕は、ここへ、なにをしにきたのだったか?得意げに経歴書に書き込むために、わざわざ海外へ来たのではない。晶馬よ、日常に甘んじることなく、挑戦するのだぞ。恐れても、目の前の環境へ身を投じ続けよう。自分を甘やかす時じゃあないんだ。今、君はまっさらな状態からから始められる、稀有な環境にいる。ましてや君は、正真正銘の『なに者でもない』存在なのだ。1年間という期限付きの自由旅行の最中にある。1年間が過ぎれば、必ず日本へ帰国することが決まっている。始まった時から、そういう約束なのだ。だからこそ挑戦の匂いがする方へ足を向けよう。
夜10時、晶馬はバックパックを枕にして、ブリスベン国際空港の待合ロビーのプラスチック椅子で横になっていた。タオルで顔を覆っていても、天井照明が煌々と明るい。これ以上無いというくらいに体は疲れているのに、上手く寝付くことが出来ずにいる。彼はイヤフォンで音を遮断しようとするが、頭の中の雑音までは消すことが出来なかった。脳が興奮して、いつまでもおしゃべりを続けている。彼はポケットの所持金を思い、ブリスベンにとどまるべきか、他の場所で仕事を探すべきか迷いはじめた。考えるべきことはたくさんあったが、彼の判断力は鈍っていた。ついに考えの道筋が見えたと思って、辿っていくとその先には必ず障害があった。視界を邪魔している障害物はまるで、半透明なぶよぶよしたゼリーのようで、うまく向こうが見えなかった。(晶馬は、和菓子の水まんじゅうを思い出していた)彼はいつの間にか包まれているような感覚におちた。向こう側に見えているのは、幻想めいた希望が映し出されているのか、それとも現実的な明日明後日なのか、彼には判断が出来なかった。目頭から前頭葉にかけて感じるずきずきする痛みを感じながら、不快感のある今から逃れようとしたが、逃れようとする意識はさらに多くの痛みを引き連れてきた。彼は抗ったが、眠ってしまう方がいくらか早かった。
だれかに体を揺さぶられたような気がして、晶馬は目を覚ました。やはり無理な姿勢だったのか、体が痛い。煌々と明るかったはずの天井は、いくぶん照度が下がっているように見える。椅子から身を起こすと目の前には、小柄な黒人のおばさんがいた。派手な柄のバンダナを頭に三角巾のように巻き、度のきつそうな眼鏡をしている。手にはモップとバケツ。彼は驚きはしたものの、まだ頭がぼんやりとしたままで、今の状況が把握できていない。ただ、心拍数は高く、心音が高鳴っている。ええと、つまりこのおばさんは、空港の清掃員ということだろうか。英語でなにかを言われたが、なにを言っているのか理解が出来なかった。いつまでも眠りこける僕に、何度も声をかけていたらしい。言葉の端々やその態度に、苛立ちが露になっていた。おばさんは、つまりこう言っていた。「空港はもうすぐ閉まるから、早く出ていきな。出口は向こうだよ!」ようやく理解をした僕は、自分でも驚くほどの大きな声で「え?閉まるの?」と日本語で答えていた。晶馬は肩を落とした。そうか、国際空港でも夜は閉まってしまうのか。晶馬は事情を説明する。宿が取れなくて困っていること。外は寒いので、なんとかここで夜を過ごしたいこと。清掃員のおばさんは、にわかに同情の視線を投げてはくれたが、やはりすぐに首を振り、「12時になったら全ての出入りはできなくなるから、出て行って。出口はあっちだよ。」と言った。彼女の声色は少し柔らかく変化していた。彼女には彼女の仕事があるのだ。荷物を背負いなおし、晶馬は、言われたほうの出口へと向かった。
空港の建物から一歩出ると、寒さが身に染みた。周りに建物はなく、吹きさらしの空港付近では風が強い。そのため、体感温度はさらに低く感じられる。行く当てもないので、フィッシュアンドチップスを食べたパブがあった方へと、時間をかけて歩いていった。背を丸めて、ゆっくりゆっくり歩いた。それでもすぐに店についてしまう。初めてではない場所へ行くのは、近く感じる。この現象を「リターン・トリップ・エフェクト」というそうだ。この感覚を引き出しているものは、見積もりの誤差によるもので、はじめての道は掛かる時間を短く(誤って)見積もっているらしい。だから、初めての道は遠く感じられるのだ。店内には電気がともっていたので、もう一度入ろうかとドアに近寄ると「CLOSED」の札がぶら下がっていた。風がビュービュー吹いている。建物の陰に入って風から身を守ろうかと考えて、建物沿いに回り込む。すると、パブの従業員が、勝手口からごみを持って出てきたところと一緒になった。店の勝手口など、客が来るような場所ではない。薄暗い中で見る人影は、十分に怪しい行動だったのだろう。警戒した声で、「おい!あんた!」と声をかけられ、晶馬は反射的にその場を離れた。不審者だと思われたのだ。とても悪いことをしてしまったかのような気持ちになった。仕方がないので、さらに進むが、パブから先へは行ったことがなく、未知の領域だ。すでに深夜の時間帯だ。状況の変化による不安感は、体の不調として反応した。ギターケースを持つ手がこわばる。利き手の右から、左手へ持ち替えた。幹線道路沿いに等間隔で立っている街灯は頼りなく、歩いている歩道はほとんど真っ暗だった。いまやブリスベン国際空港は遥か後方にあり、よもや引き返そうとは思わないほど離れていた。背後には、等間隔で並ぶ、オレンジ色の街灯が並んでいるだけであり、人気というものは全く感じられなかい。日中であれば、このエリアで働く人々による活気があるのだろう。港湾倉庫とおもわれる巨大で無機質な建物は見えるものの、コンビニひとつ見当たらないのだ。(日本のように、どこにでもコンビニがなく、自動販売機すらも道端には無い)晶馬は疲れ、時間の感覚すらもなくなりつつあったが、ここで足を止めるわけにはいかない。ここで足を止めると、行き先を持たない僕は、ただ立ち尽くしている人になってしまう。一度足を止めれば動くきっかけを失いそうでもある。さらに深夜の幹線道路には立ち尽くすことを拒否したくなるほどの不可解な恐怖心があった。体は疲れを訴えていたが、タイミングが見つからないまま、歩き続けた。視界の左手に林が見える。その林のさらに奥のほうに、ちらりと高層ビル群が見える。しかし、その窓から放たれている光はあまりに微弱で、今いる場所からオフィス街までの正確な距離を掴むことはできなかった。晶馬はこれに似たものをどこかでみたことがあるな、と感じていた。そうだ、夜間飛行をする飛行機のポジションランプだ。夜、空を見上げると時々見ることができる、あの非現実的な光の点滅。たぶん、そのせいでビジネス街は、現実にはない蜃気楼のように見えた。いまなお、幹線道路沿いに歩いている。この道はどこまで繋がっているのか。僕は知らない。林を抜ければ、光の方へ抜けることができるのだろうが、真っ暗で怖いと思った。幹線道路がどこまで続くのかは分からないが、大きな通りに並行して進んでいる間は、どこかに迷い込んでしまうということはないだろう。ぐうっと腹が鳴る。こんな時にもきちんと腹は減る。僕は、僕自身の体が発する能天気な生理現象にひとり苦笑した。ふと、目をあげると大きな噴水があった。それは直径20m以上はありそうな大きな噴水だった。噴水のある場所へと近づくと、公園の入り口のようになっていた。少し休むことにする。空港からずっと歩き続けた足は、立ち止まってもなお、動いているような錯覚に陥る。噴水の中心に据え付けられている時計を見ると、時刻はすでにAM2時に向かっていた。水面近くから吹き出す水がわずかな照明でライトアップされ、周期的に作り出される水の造形を揺らしている。もちろん、こんな夜中には誰もいるはずがない。誰かに見てもらうための水の造形を、誰も見るはずがない時間に、僕だけが見ている。そのことが不可思議で非現実的な印象を誘った。噴水の円周を形成している構造物は、かなり大きく、近づいて見てみると、ゆうに30mはありそうだ。やけに立派な噴水に感嘆しつつ、外周をぐるりと回った。幹線道路からもっとも反対の場所まで歩いて行き、腰を下ろした。かなり遠くの方で自動車が走っている音がする。それは空から聞こえた。僕の目に映るものは何もない。正面の林の暗闇と、後ろの幹線道路のオレンジ色の街灯と、噴水自体を照らしているわずかな光、それだけ。残り僅かなミネラルウォーターを口に含み、煙草に火をつけた。意識的に目をつむると、どくどくと脈打つ心臓の音が聞こえる。ここはどこなのか。そもそも僕はどこへ向かおうとしているのか。ギターケースを握り続けた手がこわばっている。じっとりと背中にかいた汗が冷えてきて寒さを感じる。総合的に、あまり良い状態とは言えない。腰かけている噴水の構造物は、凹凸のある小さなレンガが敷き詰められており、さらに横になるには幅が狭すぎた。尻の落ち着く場所を探して座り直し、足を組み、猫背になった。疲れを癒したいし、寒さから身を守りたい。もういちど目をつむり、努めて楽観的に無責任で楽しいことを考えようとし始めたとき、幹線道路の方で誰かの話し声がした。こんな夜中に、一体誰が?反射的に体をひねって、声のほうを覗き見た。幹線道路のオレンジ色の照明に照らされた人物は、二人。空港とは反対(つまり、僕が歩いてきた方とは反対)の方向から歩いてやって来たようだ。どこかで飲んできた、酔っ払いだろうか?そうだ、そういう人がいたって何もおかしいことはない。僕は特に気にもせず、彼らはそのまま通り過ぎるのだろうと考えた。しかし、二人は足を止めた。がやがやと騒いでいた声は、ひそやかになり、なにか会話をしているようだ。幹線道路までは距離があり、噴水の発する水の音もあって、彼らが何をしているのかよくわからない。仮に、彼らが僕の方を見ていたとしても同じ状況だろう。噴水の周期的な放水が止まるタイミング。向こう側を見通すことができた。彼らはまだ立っていて、体はこっちを向いている。もう僕は目を逸らすことができず、幹線道路のオレンジ色の光に揺れている二人の人物を凝視していた。
この場所が、誰もいない真夜中の噴水公園でなければ、こんなにも恐怖心を煽られることはなかったのかもしれない。彼らはなぜ立ち止まっているのか?噴水をはさんだ二人の姿は、暗闇のなかで幹線道路の照明を背に受け、逆光となっている。彼らの表情が読めない。けれども、彼らがなにか話をしながら、こちらを伺い見ていることはもはや疑いようのないことだった。僕はじわりと嫌な感じがした。彼らとの距離は、直線距離でおよそ40mほど。噴水があるため、実際の移動距離はもう少しあるだろう。僕は、飲んでいたミネラルウォーターをリュックにしまった。相手の出方次第では、ここから逃げ出す必要があることを考慮しておく必要がある。万が一に備えて、いつでも動ける態勢をとった。噴水の向こう側で向き合って話していた二人が、ゆっくりと動きはじめた。その足先は、こちらを向いているようだ。僕は、ギターケースを握り直す。手が疲れていることを確認するが、心は強くなった。ギターは僕にとって数少ない財産だから、なんとか守りたい。彼らが噴水の手前まで来た時に、噴水の照明に照らされて、ぼんやりとだが人相が分かった。彼らは、20代か30代手前くらいの白人系とヒスパニック系の若者だった。表情までは認識できない。彼らとの直線距離、約30m。噴水を回り込むことを考えるともうすこし距離があるだろう。二人は噴水の外周に沿って、二手に分かれた。二手に分かれただと!僕はその様子を見て、はっきりと身の危険を感じた。このまま座っていては、二人に挟まれるのは明白だ。僕は立ち上がり、まっすぐ正面の森の方へ早足に歩き出した。おそるおそる後ろを振り返ると、こっちへ向かってくるではないか。ふたりは何かを合図しあっている!
駆けた、駆けた。ひたすらに。恐怖で、声も出なかった。
この場所が公園であることが幸いだった。森の中をほとんどギターを抱く格好で全力で疾走しながら、今いる場所が林の中の散歩道になっていることを理解した。アスファルト舗装ではないものの、地面は整備されており、暗闇の中でも道がどこであるか、の識別ができた。時折、眼前の背の高い木々の間から高層ビルの放つ光が見え隠れしている。光は少しずつ強くなっている!この道は、必ず何処かに繋がる。その確信だけを頼りにして、走り続けた。息が苦しい。時々、躓きそうになりながら、駆けた。これは僕が作り出した夢なのか。いいや、現実だ。いまは絶対に止まってはいけない。ただただ、自分の呼吸音と、心拍数だけがよく聞こえた。終わりなき道と思える距離を走り続け、ついに林を抜けた。
林の方を振り返る。誰も追ってきている様子はない。前を向くと、木々の間から見えていた高層ビル群はすぐそこにあった。思っていた通り、林の道はビジネス街に繋がっていたのだった。僕はその場所から目についた暗がりの脇道に入り込んだ。万が一のために、身を隠す。僕は自分のことをネズミのようだと思った。ダクトや配管が集まっている狭い道を進む。日中は関係者以外通行禁止となる場所だろう。行き止まりの可能性があったが、幸い、通路は別の大きな通りに繋がっていた。定間隔に配置されている外灯は白く道を照らしており、道路は白々しいほどに明るかった。時刻はすでに明け方へと向かっているが、まだまだ夜の気配の方が強い。当然のことながら、ビジネス街には誰もいなかった。僕の吐く息が白い。見渡す限り誰一人いない街に僕は孤独感を強めた。林を抜け、誰かから逃げてきたことは、よもや夢だったのじゃないだろうか。人の気配のないオフィス街は、完全なる無機質だった。耳元から聞こえる自分の心臓の鼓動、吐く息と汗が、まるで異物のように空間に吸収される。自分一人だけが別の時間を生きているような、不思議な感覚に落ちた。鉄格子で固く閉ざされたビルの入り口、バリアフリーのスロープと手すりのレール、間接照明とガラスの中に配置されている観葉植物。全てが作り物で、すべてが嘘くさかった。見上げると高層ビルは果てしなく高い。持ち主が不在でありながら、建物それ自体から権力と金の匂いがした。僕はこの場所に似つかわしくない。この街を通過するべき人物だろう。日本の都心で見かけたホームレスの人々を思い出す。僕はいま、まさにそうなろうとしている。僕は自分の中に凝りのような後ろめたさを感じた。陽が昇れば、スーツ姿の会社員が行き交う場所になるのだろう。そこにいる人々はみんな忙しく動き回り、人と人が話し合う。そんな様子を思い浮かべると、急に、この場所が眩しく見える。僕は羨ましく思っているのだ。到底届くはずがない。それに引き換え、夜中にビルの陰を探して、行く当てもなくうろついているネズミのような異邦人。自分の価値などないのだと思った。冷静に考えを深めると、客観的に見えてきて、全てが笑い話のように思えてくる。僕は道化で、人生はロールプレイングだ。ずっと我慢していたけれど、極度に眠気が襲ってきている。空を見上げると、遠くの方はもう白み始めている。朝が近い。どこかで横になりたい。疲労は限界を超えている。自然と視線は下がってくる。下を向きつつ歩いていると、ある地点から、地面のアスファルトが切れ、敷石に変わったことに気がついた。視線をあげると、遊歩道へつづく道が見える。歩道は緩やかな上り坂となっており、その先には、歩道橋がある。歩道橋を歩き進むと、開けた場所に出た。複数の歩道橋が交わる広場になっており、いわゆるペデストリアンデッキが形成されている空間だった。その広場の外周に沿って足元を照らす照明が配置されていて、付近は仄かに明るくなっている。祭りの後のステージのように見える。誰もいない。ぐるっと一周してみると一か所、地上と繋がる階段がある。僕はその場所を選び、傍らの地面にゆっくりとギターを降ろした。何が起こるかわからない時には、複数の選択肢があるほうがいい。こうしている間にも誰一人ここには来なかった。今も誰ひとりいない。やっと一息つける気がした。側にある階段は急こう配であり、ほかの場所と比べて人の通行量は少ないだろう。空はすでに朝の気配を漂わせているが、街が動き出すまではしばらくの時間があるだろう。すこし仮眠をとろう。そして、目が覚めたら、この街を離れ、北へ行く高速バスへ乗ろう。今の自分にはブリスベンで暮らすことは不可能だ。この所持金ではアパートを契約することも出来ない。現実的に、生活の基盤を元に戻すには、元手のかからない仕事をして少しずつ資金を増やすしかない。元手のかからない仕事、つまり肉体労働だ。Bundaberg(バンダバーグ)、という町の名前を知っていた。有名なラム酒にもその名が冠されている。その町では、年中、大規模な農作業が行われている、という情報を聞いていた。明日起きてから、考え直そう。今僕はひどく疲れていた。地面に腰を下ろし、バックパックから自転車用のワイヤーロックを取り出す。そして、履いているジーンズのベルトループとギターケースの持ち手に繋ぐ。こうしておけば、寝ている間に、万が一だれかにギターを持ち去ろうとされても気付くことができるはずである。歩道橋の路面は、排気ガスや何やらで灰色に汚れていたが、それには構わずに横になった。寒さで背中がゾクっとなったが、目を閉じるとすぐにでも眠れそうだった。空港からここまでに起きた出来事は夢か、真か。昨晩からの様々なことがフラッシュバックし、全然寝付くことができなかった。寝返りを打ち、ふと薄目を開けた。すると、僕の目の前には、ちいさなちいさなカマキリがいた。立っていた。生まれて間もない、子どものカマキリ。体長わずか数センチしかないそいつは、こちらを向き、身動ぎもせず、自分の鎌をこちらに向けて威嚇している。この身ひとつ。裸一貫で、精一杯に生きている。僕はその姿から目が離せなくなった。久しぶりに出会った生き物だった。親近感に似た感情が、僕の心を温かいもので満たしていた。ふいに目にしたその光景は、思いがけず僕を感動させたのだった。それはある種の重要なメッセージのようにも感じられた。僕は自分でも気がつかないうちに涙をながしていた。
人々が行き交う足音で目を覚ました。すでに陽は高く昇っており、歩道橋はスーツを着た通勤者で溢れている。晶馬は昨日の出来事を思い出す。ああ、そうだった。昨日は散々な日だったのだ。通勤者は、僕とは違う、真っ当な人々である。晶馬の目にはその光景がどこか非現実的で滑稽なものとして映った。敷石の路上は固く、埃っぽい。朝のブリスベンは空が高く、さんさんと光が降りそそいでいる。その太陽のもとで自分自身の身なりを見返すと、我ながらみすぼらしい姿だと思った。衣服は薄汚れ、洗っていない髪の毛は固くへばりついている。身を起こし、地面に座りなおす。ぬるくなってしまったミネラルウォーター、残りの一口を喉に流し込む。晶馬の目線の高さを、無数のビジネスマンの膝が通っていく。床に座っている浮浪者じみたアジア人は単なる障害物であり、避けはするものの、それ以上に気に留める素振りもない。まだ、ぼんやりとしている頭で、晶馬は持ち物の確認を始めた。ベルトループを通った自転車用ワイヤーロックはギターケースに繋がっており、ぴたりと蓋が閉まっている。バックパックの中にあるパスポートや財布も定位置にあることを確認した。自分がまだ現実的な行動ができることにすこし安堵した。そして、あらためて昨晩のことが夢のように思われた。それは寒い夜だった。歩き、走り、誰かと何かから逃げ、ここにたどり着いた。一晩経ってしまうと、昨晩の自分はすでに幻と化していた。たしかに自分の体はここにあり、見えるものも見え、体にまとう不快感を確かに感じるのだけれど、中身だけがどこか別の場所にあるような感覚が身をまとった。彼はおもむろにポケットから煙草を取り出して火をつけた。汗と衝撃でくしゃくしゃになってしまった煙草を真っすぐに伸ばす。この奇妙な感覚を消し去るために、空の色と同じような色をした煙の行く先を目で追いながら、昨晩立てた計画を思い出してみた。ポケットの所持金は70ドル。ブリスベンで生活をするには、資金が不足しすぎている。まずは農業の町バンダバーグを目指そう。ブリスベン市内のバスターミナルへ行き、ケアンズ方面へ北上するハイウェイ・バスに乗る。果たしてバンダバーグまでの乗車料金はいくらなのか。チケットセンターで尋ねてみなければならない。もしも、所持金だけではバンダバーグまで行けないとしたら?その時は、行けるところまでの最大距離のチケットを買うまでだ。よしっと声を出し、立ち上がった。歩道橋から急こう配の階段を下りて行った。いま自分がいる場所がどこなのか見当がつかないが、交通量の多い道路であることは理解できた。道沿いに歩いていけば適当なバスストップが見つかるだろう。そこで路線図を見れば、長距離バスに乗り換えられそうな大きな駅が見つかるはずだ。歩道橋を降りたあとは西へ行くか、東へ行くか。朝の光はとてもきれいだと思った。その理由で東へ進むことを選んだ。高層ビルの地上階に入店している洒落た店が続く。自分がみすぼらしく、ガラスのショーウィンドーに映る自分を直視できなかった。しばらく歩いたところにバスストップがあった。路線図を見ると、Brisbane Transit Centre(ブリスベン・トランジットセンター)がある。図の表示からも大きな駅だと考えられる。しばらく待つと、目的地へと向かうバスはやってきた。バス停から見ていると、通勤者で車内は混雑してるようだった。僕は思わず自分の衣服のにおいを嗅いだ。薄汚れてはいるものの衣服からは匂いはあまりしなかった。意識的に、背筋をのばす。近づくバスの車窓から、乗客が自分のことをなにか珍しいものでも見るように見られているような気がして(実際にはそんなことはないのだが)、僕は思わずバスから目をそらした。降車口はたくさんのビジネスマンを吐き出した。そのおかげで、僕が乗車するときには車内はほとんど空っぽになっていた。車内が軽くなったバスは、乱暴に走り出す。ブリスベン・トランジットセンターへの道は、昨晩、僕が目にした風景が含まれているようにも思われたが、昨夜の夢のような実体験は、バスの進むスピードに追いつくことができなくなり僕は途中で諦めた。黙っていても、目を瞑っていてもこのバスは僕を目的地に連れて行く。そんな単純なこと。それも事実なのだ。
2022 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa
(Chapter 2 は来週の日曜日、正午12時に公開されます)