Hyper-Connected World
インターネットの普及によりオンラインでなんでもやりとりができ、ワンクリックで直接会話することもなくあらゆるモノが売買できるようになった。いわゆるハイパーコネクティッドワールド(*1)に突入せんとしている現代にあっては、作り手やモノを運ぶ業者の努力は見えづらい。自分の仕事を他人に見せるには、ドキュメンタリー映像でも作って公開していくなど積極的に行動をとっていかないと、直接目にする機会はどんどんと無くなっていくことだろう。
(*1)あらゆるモノがインターネットとつながること。2020年には500億個以上のモノとインターネットが繋がると言われている
モノづくりは易しいか
サービスを受ける側は、安易に値切ったり、高い安いの判断をすべきではないのかもしれない。決して軽視されるべきではない。
何かを作る時、AとBとCが用意されていて組み合わせの手法だけで完成されたものができるのであれば、職業も知恵も必要ないのかもしれない。しかし、なにか物を作ったりする時、大抵簡単に割り切れるものものばかりではない。
そこには人間ならではの間合い、質感や配慮がある。様々に変化する環境の中で人は人や物と接している。 A’という状況であれば過去の経験から近い、Aと言う状況を思い出し応用を利かせ、相手(人もモノも)の反応を見て、BもしくはCまたはOtherの行動をを取る。 コミュニケーションが進む。その繰り返し。
PC風に階層に分けるとすれば、どうやら、かなりの情報量を人は五感を使って処理しているようである。
スマートに作業をこなす人ほど、些細な所作の中に知恵が行き渡っていて、何気ない動作に見えても合理的で洗練されているものである。大工職人のそばに1日いて、その行動に目を見張っているとわかるだろう。(彼らはその道のプロであるから)
物語の喪失
それに伴って、モノ(サービスを含む)と職業を結びつけるイメージというものも乏しくなっている気がする。
例えば、野菜を例にとってみよう。
農家が八百屋に卸し、買い物客がいるという従来の購入方法から、スーパーの野菜コーナーへと移り変わり、なんでも揃うモール型店舗の食料品売り場へと集約される。そしていま、インターネット上での画像をクリックするだけで即日配送されるネット通販型スーパーへ。
それは利便性が高い反面、購入する側と販売する側、それぞれが互いに思う気持ちに触れる機会が減っていることと同じに見える。
機会が減ると、モノはそれ自体の物語を持たず、あたかも最初からそこにあったように見える。
それは尊敬とか、ありがたいと思う気持ち、信頼を持てるかどうか、に直接つながる問題ではないだろうか。
人間はコンピュータプログラミングでは簡単に表現できないほどの複雑で柔軟な知恵を集積している。そして人間は常に新しくなっていこうとする。意識せずとも、常に新しい生へと向かっている。
お金の価値とは
他に遅れをとることなく「2020年を皮切りにすべし」と、世の中はさらなる「ハイパーコネクティッドワールド」の実現を目指していく。私たちの身の回りの環境も引きずられるように変化していくだろう。今よりもっと、Hyper-Connected(接続性過多)な時代が到来する。
かつて時代に疑問を持ち体現した文化にヒッピー文化がある。
それより圧倒的な速さで、テクノロジーの恩恵は受けつつも時代とは一線を画する集団が、世界の隅々で同時多発的に生まれ、インターネットを介して文字どおり瞬間で繫がり、グループらが一体になる運動が、明確に見える形で生まれるのかもしれないな、と思ったり。
そんな中、
これからのお金の価値とは何だろうか。
かつて確固たる共通の価値の代名詞であったはずの貨幣が、フワフワと腰を落ち着けられずにいるように思うのだ。
モノの原価と職業
私たちは何かものを買うときに、その商品と値札を見比べて、高い、安い。と判断している。例えば、「うどんを食べたい」と思ったときに、スーパーでは一玉28円だとしよう。方や、手打ちうどん屋では一杯600円。この開きはなんだろう。
小麦粉と水と塩を原材料として作られていることは同じ。
作り方の違いだろうか。それなら、機械で大量生産をすることによるコストカットが考えられる。ただ、味や安全に対する「こだわり」はほとんど無いのかもしれない。はたまた、スーパーが採算度外視で目玉商品として売っているから極端に安く設定されているのかもしれない。
方や、手打ちうどんは、職人の手によるもの。小麦粉の質、選ばれた水・塩、あるいは季節ごとに喉越しの変化をつけること、はたまたその日の天候にも左右されるのかもしれない。
いずれにしろ、スーパーで売っているうどんと職人の手打ちうどん、そこには570円の差がある。
客「なんだ、高いな!詐欺じゃないか、怒ったぞ。」
店「それでは、原価を差し引いて残りをお値引き致しますから、ご自分で同じうどんを作ってください。」
そう言われても、困惑するだろう。570円の差額の中には材料費、設備費、調理の手間、店構えへのこだわり、接客・もてなし、さらには後片付けへの報酬が含まれている。きっとそれが、世の中に様々な職業が存在するひとつの理由。
わたしも子供を育てる父親としてやはりお金は必要不可欠である。
子供達もまた、目まぐるしく変化していくだろうこれからの時代の中で大人になっていく。子供達が大きくなっていくとき、お金の価値を伝える一人の者としてこれからも「お金の価値」について考えていきたいと思う。